きずなASSIST

KIZUNA Assist

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ベトナム・レポート 2009年8月16日〜8月25日

倉野佳典

不安を胸に日本出発。施設見学でベトナム戦争を知る。

〈1日目〉2009年8月16日

 

朝、中部国際空港集合。初めての海外研修・ベトナム。今年参加する社員は私1人で、出発までにたくさんの不安がよぎる。会社を代表して責務がまっとうできるのか、暑さや食べ物や環境の違いで自分の体調は大丈夫だろうか、普段職場でも不安に思う時はたくさんある。その度に乗越えてきた経験がある。それを思い出し、今回の海外研修はたくさんの方々のおかげで参加させて頂いている、自分にできる事をやろうと決意し飛行機に乗り込みベトナムを目指した。

 

 

途中ベトナムの首都ハノイ空港にて乗り継ぎ目的地であるホーチミン行きの飛行機を待つ。一緒に参加している日本の大学生もまだ緊張しているのか、静かに飛行機を待っていた。

ハノイに着くと日本との時差は2時間、時計を2時間戻した。無事、乗り替えをすませ日本からまる1日かけてホーチミンに到着。空港に降り立った瞬間、私たちの到着を見はからったかのように熱帯特有のスコールが降ってきた。

 

 

到着は現地時間で21時、日本ではすでに23時である。移動時間ですっかり疲れてしまったが、ホテルへ向かうバスから見たベトナムの景色に驚いた。街は日本の都市と変わらないくらい建造物がある事にも驚いたが、それ以上に道行くバイクの数には圧倒された。道路には隙間なくぎっしりのバイク、その間を縫うように車やバスが走り、私たちのバスもホーチミンのホテルに着いた。

 

 

明日からはじまる事を楽しみに、その日は就寝した。

 

〈2日目〉2009年8月17日

 

ホテルで朝食を済ませ今日はベトナム戦争でゲリラ戦となったクチという場所を見学に行った。バスでの移動となるが市内を過ぎると道路は舗装もされておらず、でこぼこの道をただひたすら進む。畑や草原といった風景がひろがり1時間半ほどで到着。現地は深い森林になっていた。

 

 

ガイドさんの案内とビデオでベトナム戦争当時の様子を観た。ベトナム戦争中、現地の人は敵に見つからないよう闘っていたと同時に地中で生活していた。その地中の施設を実際に見学した。何も変わりのない森林の地面から落ち葉をかき分けると地下施設の入り口が隠されていた。

 

 

その中は大変狭く、とても生活できるような場所ではないにもかかわらず地下に生活する空間を設け、中には会議室や負傷した兵士の治療室などがあった。外からは全く分からない、敵に見つからぬよう戦争が終わるまでこの地下施設で何年も過ごしたという。もちろん地中での生活では勉強すらできない、ただ生きるために必死だっただろう。改めて平和の大切さ、平和である事の大切さを学んだ。

 

 

またこの地下での生活、戦争、生きるか死ぬかの状況で自由もなく、やりたい事もできず、満足に物もない状況、それでも最後まであきらめずに闘い、また自殺する事無く生き抜いたという。われわれ日本の現状は物があふれ平和で自由であるにもかかわらず自ら命を絶つ人もいる。このクチの戦争跡地ではいろんな事を考えさせられた。人と人との意見がぶつかり争いになり、また考え方の違いで戦争に・・・。

 

 

世界ではいまだ争いが続いている。
世の中から争いがなくなり平和であってほしいと願う。

 

枯葉剤で瀕死となった現状を学習し、厳しい自然を体感。

〈3日目〉2009年8月18日

 

今日は植林作業が行われるカンザー地区へ移動。今日から現地ベトナムの人たちと一緒に行動する。彼らはホンバン大学の日本語学科の学生たちで20人くらいの生徒たちが一緒に植林作業を行ってくれる。一緒にバスに乗り込み移動するのだが、日本人とベトナム人の席が隣同士になるように座り交流をはかる。自己紹介をしたり日本の事を話したり、ベトナムの事を聞いたりするのだが、彼らの日本語はすごく上手で驚いた。漢字を読むだけでなく書いたりできる生徒、中には英語も日本語もできる生徒もいて彼らの勉強熱心さには頭が下がる。

 

 

いろんな話をするうちに、カンザーに着く前にすっかり仲良くなっていた。カンザーへの道も舗装されていない道を進んでいく。市街地をはなれ、何もない景色が続き、だんだん深く生い茂った森が近づいてきた。カンザーに着くと現地の農業局の方からマングローブ林の説明などを受けた。

 

 

もともと熱帯気候であるベトナムにはマングローブだけでなく様々な木が生い茂っていた。ところがベトナム戦争で枯葉剤攻撃をうけ森林が枯れてしまった、戦争後もとのような森林を取り戻すために植林を行ったのだが、本来マングローブが生息する所には不適なユーカリの木を植えていたようだ。ユーカリといえばオーストラリアのコアラがその葉を食べ物としている木である。そこで現在ではユーカリではなくマングローブに植え変えている。ベトナム戦争終了から30年以上たった今でも、植林を行っていないところでは枯れたような草が生えているだけだった。

 

 

今回作業する現地は、ニッパヤシというヤシ科の植物が生い茂る森で、植林をする前にニッパヤシの葉を刈り、その後苗木を植える。大きく育ったニッパヤシの葉が日陰を作ってしまい、苗木が育たないので刈る必要がある。そもそもニッパヤシだけの森林でも問題はないが、昔のマングローブ林は多様性にとんだ植物が生い茂り、サルなどがいたそうで、それを取り戻すためには様々な植物を植えないといけない。単一のニッパヤシの森では生物が住みつかないそうである。今はまだ生物が住みついていないが、近い将来実現するために今回自分たちが植林作業を行う事により少しでも役に立つ事ができればと思う。

 

 

その日は植林の勉強会と説明を受け、植林作業終了まで宿泊するホテルへと向かった。しかしホテルというよりは寝泊りするだけの質素な施設で、水道もなく雨水を利用したシャワーがあるだけでお湯はでない。床に布団を敷いただけの部屋でもちろんテレビも冷蔵庫もなく、エアコンすらない部屋もあり、あまりの日本との環境の違いに少し不安になった。現地ではこの生活が当たり前で、いかに普段自分たちの生活が恵まれているかを思い知った。

 

 

そしてその夜はベトナムの人たちと交流し、すっかり仲良くなり、ともに明日からの植林作業を頑張ろうと話し合って、明日の準備をして就寝した。

 

船を乗り継ぎ熱帯のマングローブ林へ。1本ずつ植林を実践。

〈4日目〉2009年8月19日

 

作業は3日間おこなわれる。前半でニッパヤシを刈り、最終日で植林をする。植林作業1日目の今日はニッパヤシ刈りのみを行う予定だ。ホテルからバスで移動し、途中船に乗り替えマングローブ林をめざす。蚊に刺されないよう虫除けをし、作業中には蚊取り線香を腰からぶら下げる。道のないマングローブ林を歩くため虫やケガから身を守るため長袖を着て軍手をはめ、泥だらけところを歩くので地下足袋を履く。蟻などが入らないよう首にタオルを巻き作業をする。

 

 

1時間くらいバスにのり、マングローブ林までは船で行かないと現地に着かないため、船着場で今度は小型船に乗り換えた。

 

 

川は日本とは違い茶色くにごっている。あたりにはマングローブ林が生い茂る。30分ほどサイゴン川をさかのぼり到着、船着場もない川岸に船をつけてようやく現地についた。

 

 

今年は植林を初めてちょうど10年、一応の植林作業の完成となるらしい。そのためのモニュメントを運び設置して除幕式が行われた。10年間でおよそ50ヘクタールの土地を植林したそうだ。

 

 

そこから作業場まで15分くらい歩いただろうか、マングローブをかき分けようやく到着した。雲ひとつない熱帯のマングローブ林、日陰も少なく、気温は37度を超えていて体温より高い厳しい気象条件。さすがに歩いてきただけでも疲労の色があった。現地の学生たちも辛そうな表情だった。

 

 

過酷な条件のなか、ニッパヤシの刈り込み作業を行った。班ごとに別れ作業場の指示を受け、のこぎりでヤシを刈っていく。通常サイズの物でもヤシは2メートルを超え、大きい物では3~4メートルもあった。

 

 

日本の大学生、ベトナムの大学生と共に力をあわせ作業をおこなった。足場は泥で非常に作業しにくい。日本では見たことのないような大きな蟻がタオルを巻いているにもかかわらず首の中にはいり噛まれたり、慣れないのこぎりでケガをする学生がいたり、日本から持参した消毒液や絆創膏が役に立った。

 

昨年刈ったヤシは1年間で2メートルくらい伸びていて、植林された小さな苗木は育たない。苗木を植林して終わりと言うことでなく、ある程度大きくなるまでは世話をして手をかけないと木は育たない事を知った。植林も人間も同じように大きくなるまでは手をかけないといけない、植林前のヤシ刈りだけでもずいぶん手がかかり大変だという事を、身をもって知った。

 

 

作業は午前中いっぱい続き、暑さに耐え、ぬかるんだ地面に足をとられ、持ってきた水で水分を補給しながら、皆と力をあわせ作業が終わった。来た道を戻り船の中で昼食だが、疲れはてて食べることができない学生もいた。

 

 

汚れた地下足袋や作業着を着替え、それらはホテルに戻ってから雨水を溜めた水をたらいに入れて洗濯をした。

 

 

まだまだほんの一部ではあるが、ベトナム現地の生活を体験する事ができた。

 

苗木の成長を測定。雨後の泥沼と戦い、継続の大切さを実感。

5日目〉2009年8月20日

 

2日目の植林作業は以前植えた苗木の調査を行った。昨日と同じように現場に行き、以前に植えた苗木が順調に育っているかどうかを調査した。幸い以前植林した所は順調に育っていて密林になっていた。その中を、大事な木を折らないようにかき分けて木の長さを測った。

 

 

植えた木には番号札がつけてあり、それを調べながら長さを確認していった。苗木のときは50~60センチほどのものが、植えてから5年、6年経った木は3メートル以上の木に成長していた。1年間で1メートル近く成長していた木もあった。

 

 

ここも以前はニッパヤシしかなく、今回と同じようにニッパヤシを下刈りし植林したところだそうだ。このくらい成長するとニッパヤシを刈らなくても日光にさえぎられなくなり手をかけなくてよくなるそうだ。昨年植えた木、2年前3年前5年前など300本近くの木を分担し、長さや幹の太さを調べるのだが、成長したニッパヤシもあり、かき分けて歩くのも困難な上、さらに番号札のついた調査対象の木を見つけるのに苦労した。暑さにも耐えながら、皆さんと力をあわせる事で、ようやく全ての木を調査することができた。こうして昨年植えた木も、それ以前に植えた木も順調に成長し続けている事を見届けることができた。

 

 

〈6日目〉2009年8月21日

 

3日目の植林作業は、ニッパヤシを刈り終えたところに、いよいよ苗木を植える植林作業である。今年植えるのはヒルギモドキという木の苗木。ヒルギモドキはマングローブの一種で、これらマングローブは通常の木よりも約5倍二酸化炭素を吸収するという研究報告もあり注目を浴びている。この日も晴天に恵まれ暑い日となり、少しずつ暑さには慣れてきたが、昨夜の雨の影響で作業場はかなりぬかるんでおり、まさに田んぼで田植えをしているようで足が泥に埋まった。

 

 

植林の作業は、地面をスコップで掘るのだが、強い粘土質の土でうまく掘ることができない。泥に足をとられながらも一緒に苗を運んで、泥を掘り、苗を植えて、いろんな事に苦戦しながらも、皆で協力してなんとか全部の苗木を植え終わることができた。今回の苗木は1メートル50センチくらい、どうか順調に育ってほしい。

 

一度破壊してしまった森を元に戻すということは大変な労力と時間がかかるし、その現地まで行って植林するということではなおさら大変だ。今回作業したのは2ヘクタールという小さな場所でしかないが、自分で実際に植林を体験でき、少しでも役にたった事が何よりも嬉しかった。日本・ベトナム国籍も何も関係なく地球環境のために一緒になって植林をできた事が良い経験となった。

 

 

子供達との交流で気づく。・・・そして仲間との別れ。

〈7日目〉2009年8月22日

 

無事植林作業が終わり一つ大きな仕事が終わった気持ちになった。カンザーのホテルも初めは抵抗があったが、環境にも慣れ始めたこの頃にカンザーともお別れし、ホーチミンの市内へ戻らなければならない。

 

 

この日はベトナムの子供たちとの交流の機会を持った。離島出身の子供や親のいない子供たちが、学校で生活している寄宿舎を訪問。お昼にはベトナムの大学生と一緒にカレーを作り、子供たちと一緒に全員で食べ、ひとときの食事の時間を共にした。

 

 

カレーを作っている間、子供たちと一緒に遊んだ。言葉は通じないが、シャボン玉や折り紙、縄跳びや追いかけっこをして、すぐに打ち解け合えた。中にはおんぶや肩車などをおねだりする子もおり、どうやら楽しい事には積極的に集まるようで、ベトナムでも日本でも子供はみな同じと感じた。

 

 

言葉は通じなくても交流はできる。親がいないとか貧しいとか、いろんな事情はあるけれど、楽しい事を全力でやる子供たちを見て、元気や純粋な心、また前向きな心を感じ、自分が子供たちから教えられた気がする。

 

 

ふれあいの時間を過ごした後、寄宿舎を離れ、ホーチミン市内に戻った。ホーチミンでは小さな女の子が物売りをしていた光景を良く目にする。生活するのに必死で、満足に学校にも行けないとのことである。学校に行ける寄宿舎の子供たちは、まだ恵まれているとのことであった。当社の「きずなASSIST」の活動が、こういった子供たちにどうか届いてほしいと願いながらも、はたして「自分に何ができるのか」を思い悩んだ。

 

〈8日目〉2009年8月23日

 

今日はベトナムの大学生が私たちのために現地を案内してくれた。自分たちでプランをたて、中央郵便局やスペイン植民地時代に建てられた建造物、大統領官邸などを案内してくれた。ただ案内してくれるだけでなく何年に建てられたとか特徴を調べて、事前に原稿用紙に日本語で漢字を使って書いて調べてあり、用紙を見ながら一生懸命案内してくれた事に感心した。

中でもベトナム戦争博物館は衝撃的だった。必死に前向きに生きる姿をみて感動した。改めて世界が平和であってほしい。平和や環境・子供たちを守ること、ベトナムに来て植林をして子供たちと交流した体験を通してその思いはより強くなり、交流を通して得られた事は自分を成長させるものとなった。

 

 

そしてこの日の夜、ベトナムの大学生ともお別れ。植林という一つの「作業」を通して交流した仲間たちとは短い期間ではあったが、深い絆で結ばれた。日本の学生は歌を披露し、ベトナムの学生は踊りを披露し、最後には全員で踊り全員がひとつになった。初めてあったのは数日前なのに話はいつまでたっても尽きることはなく、こんなに別れが惜しいとは思っていなかった。

 

ベトナム最終日。ひとり一人の行動の大切さと決意、感謝。

〈9日目〉2009年8月24日

 

いよいよベトナムの最終日。今日の深夜の飛行機でベトナムを発つ。前夜のベトナム学生と別れ、ベトナムとの別れに寂しくなってきた。本当にあっと言う間の10日間だった。今日は農業農村発展局へ赴き今回の植林作業の報告。植林作業は今回でちょうど10年、ひと通りの完成を迎えることができたとの事だったが、まだまだやらなければならない事がたくさんあり、多くの人の手を必要としている。

 

 

報告会も終わりベトナムを発つときがきた。帰国の用意をしてホテルを出るときに嬉しいハプニングがあった。一緒に過ごしたベトナムの大学生たちが見送りに来てくれ、名残惜しく、楽しかった思い出話にホテルを出発する時間になってもなかなか別れられない。しかし時間がせまりバスに乗って私たちは空港に向かったが、嬉しい事にベトナムの大学生たちはタクシーやバイクにのって空港まで最後の見送りに来てくれた。最後には皆、抱き合って泣いて別れを惜しんだ。そしてハノイ経由で8月25日無事に日本に帰ってくる事ができた。

 

本当に充実した10日間でした。出発前は不安がいろいろあり、一人であればできなかったかもしれません。現地の方、皆で力をあわせ助けられ充実したものになりました。今回植林作業を通して環境の事だけでなく、現地の人々との交流も学ぶことができました。ベトナムの大学生やベトナムの子供たちをはじめ皆さんから、前向きな姿、熱心に勉強する姿、楽しい事に無邪気に遊んでいる姿、積極的な姿、好きな事をする姿、挑戦する姿、いろんな姿を見てたくさんの事を得ることができました。昔は持っていたであろう忘れかけていた物を思い出させてくれた10日間でした。

 

 

今回の研修を通してたくさんの事を学びました。実際に見て聞いて体験した事を、日本でまた現場で活かしていきたい。一度壊した環境はすぐには戻らない、戻すには大変な労力と時間がかかる、だから壊さない努力をすることが大切な事だと思います。

どんな小さな事でもいいので自分にもできる事があると思います。一人ひとりが実際に行動し、そしてひとりでも多くの人が行動を起こせば大きな力となります。どうか平和、環境、子供たちのために・・・。私たちができる事を、小さな事でも何でも良いので行動に移していきたいと痛感しました。皆さんのおかげでたくさんの素晴らしい経験ができました。ありがとうございました。

 

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