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バングラデシュ・レポート 2013年3月20日〜3月29日

山口真由美

バングラデシュ到着~JCFの本部へ

■バングラデシュ到着

日本から飛行機を乗り継ぎ、夜中にバングラデシュの首都、ダッカの空港に到着。空港にはもの凄く沢山蚊がいて、「わっー。こんな所でこれから過ごすのか・・・」と一気に不安になった。空港を出ると、老婆が物乞いをしていて、噂には聞いていたがとても切ない気持ちになった。

 

  

 

それから、バスで目的地であるジェッソールと言う街へ向かった。前日までストライキが行われていた影響もあってひどい渋滞。その状況の中で、どの車もクラクションを鳴らしながらどんどん前進して行く。車線など関係なく、前も横も車間距離がまったくなかった。

これでよく事故が起きないなぁと思っていた矢先、やはり私たちの乗ったバスと車が衝突。周りを見ても傷だらけの車やドアの無いバス、ドアがあっても開けっ放しだったり、バスやトラックの上にも人が乗っていたりと、バングラデシュに着いてからは今まで見たことの無い光景の連続だった。バスで寝ていてもクラクションで目が覚めてしまい、外を見ると夜中にも関わらず、沢山のトラックと人々行き交っていた。

 

  

 

ジェッソールに到着してゆっくり休む時間も無く、現地スタッフのお宅で水のシャワーを浴びさせていただいた。いくら暖かい気候とは言え、水のシャワーはさすがに冷たかった。また街では道端に沢山のゴミが捨ててあり、「えっ!なんで?」と驚きの連続だった。

 

■JCFの本部へ

今回お世話になったJCFの本部は、貧しくて弱い立場の人たちのための生活支援をはじめ、以下の様な活動をしている。

 

  

 

女性差別、少女の早期結婚、児童労働、家庭内暴力などの撲滅、マイクロ・ファイナンス(貧しい人々に対し無担保で少額の融資を行う貧困層向け金融サービス:担保を取る代わりにグループを作り、誰かが返済出来なければそのグループ皆が借りられなくなるので皆が協力する様になると言った制度)、ジェッソールでの貧困ラインである月5000タカ(約6500円)以下の収入の人たちの支援、ダルシャナ(農村)での貧困ラインである月500タカ(約650円)以下の収入の人たちの支援、極貧の人たちが継続的に教育を受けられるための活動(授業料は無料だが教材費などの月40タカ(約60円)が払えない人たちがいる)など。

月に60円が払えない・・・。
どんな生活をしているのだろうかと思ってしまう。
ゆくゆくは、病院の設立もしていきたいとの事だった。

 

学校訪問、保険プログラムの見学、スラム街の訪問

■学校訪問

小学校では元気な子供たちが歓迎してくれた。どの子も皆、目がきらきらと輝いていた。小学3年生のクラスで将来の夢を訪ねると、医者になりたいという子がほとんどだった。他にも、パイロットになりたい子、学校の先生になりたいという子などが居て、皆いきいきしていた。

 

  

 

写真を撮ると、「私も!私も!」と次々に寄って来て、「撮ったのを見せて」と、あっという間に子供たちに囲まれてしまった。帰りにも一人の子と握手をすると、「私も!私も!」と寄って来てなかなか前に進めなかったが、その無邪気さが可愛くうれしかった。車に乗って移動している時でも、私たち外国人が珍しいらしく街の皆が笑顔で手を振ってくれて人気者になった気分だった。

 

■保険プログラムの見学

 

  

 

病院まで遠くて行けない人のために、週に1回診察に来ているとの事だったが、電気も無く、部屋の隅に小さなベッドが一つあって、薄い布で仕切りがしてあるだけだった。こんな所で何が出来るのだろうか・・・。設備は何も無い。それでも1日25人ぐらいの患者さんが来るそうだ。診察所の外に出ると、また子供たちの笑顔に取り囲まれた。

 

■スラム街の訪問

 

  

 

道幅は狭く、藁やトタン・竹で出来た家で、決して大きくはない1つの建物に、5~6世帯が一緒に住んでいると聞いた。驚いたのは、スラム街の人たちでも携帯電話を持っている人が結構多かった事だ。ここでもまた一緒に写真を撮って!と声をかけられた。

ひとつかみの米の活動の見学

 

  

 

この「ひとつかみの米の活動」は、現金収入が少ない農村で、現金収入を得るための方法で、グループを作り各家庭で毎日ご飯を作る時に少しずつお米を貯めて、一掴みの米を皆で持ち寄り、持ち寄った米を売る。そしてそのお米で得たお金をグループの誰かが借り、家畜(ヤギ、牛)の購入や土地リース代、子供の養育費に充てるというもの。

このグループのあるメンバーは、この活動を始める前は、1日1~2食しか食べられなかったが、今では1日3食きちんと食べられるようになったと言っていた。また他の人は、10年前は家も何も無かったのに、今は家で牛やヤギも飼っていると笑顔で語ってくれた。皆自信に満ち溢れていたのがとても印象的だった。

 

農村でのホームステイ(1)

*写真はお世話になった家族。
 お父さんとお爺さんは仕事で家に居ない事が多かった。

 

 

英語さえも全く話せない私が、3日間も大丈夫だろうか・・・。とても不安だったが、そんな不安を一瞬で吹き飛ばしてくれる笑顔で、ホストマザーと子供たちが花束を持って迎えに来てくださった。

優しそうな人で良かったと思いながらもドキドキ。そして家に着くと、お爺さんお叔母さんなど、8人の大家族のお宅で、名前を聞いてもすぐには覚えられず、あたふたしてしまった。ホストマザーは、31歳で16歳と5歳の息子さんがいる・・・と言う事は、14歳で母親に!?きっと早期結婚させられてしまったのだ・・・と。その頃の話を聞きたいと思ったが、言葉が分からないのでとても残念だった。

 

  

 

私がお世話になったお宅は、農村というよりは街中だったので、お父さんが外でキツイ仕事を頑張っているお蔭で、現在、家を新築しているとの事だった。家族は皆お父さんにとても感謝していて、トタンと竹で出来た簡素な家だったが、新築中の家はレンガ造りで、さらに2階に上る階段もあった。まだ建築途中にもかかわらず、私が来ると言う事でトイレとシャワールームだけは完成されていて、心配していた電気までもが通っていた。

 

  

 

家族みんなが常に気を遣ってくれたうえに、心から歓迎してくれた。しかし、やはり言葉は難しく、私が分かるまで何度も何度も説明してくれ、本当に迷惑かけっぱなしだった。私にいろんな物を見せてあげたいと、たくさんの所に連れて行ってくださった。リキシャに乗っての移動の間も、あれは病院、警察所、学校だよと、常に説明してくれた。

 

  

 

また、マイクロクレジットの集金の機会にも連れて行ってもらったり、そのグループの人たちのお宅に行って、今はこれを作って売って生活しているんだよ。とか、お金を借りてこのミシンを買って、これを作って生活しているんだよ。など、話を聞いたりご飯をご馳走になったりした。

ご飯も、「もう食べきれないよ!」と言うくらいにたくさん出てきて、辛い物や甘い物の味が極端だった。私は辛い物も甘い物も好きだが、あまりにも甘すぎて、食べるのにちょっと一苦労してしまった・・・。一番びっくりしたのがデザートで、ご飯にオレンジと砂糖を混ぜた物が出て来て、これがデザート!?と、見た目と味のすべてに驚き。しかし現地に行く前に想像していたよりも美味しい料理ばかりだった。

 

  

 

農村でのホームステイ(2)~児童養護施設の見学、ツアーを振り返り

■農村でのホームステイ(2)

何処に行っても花とお菓子とプレゼントを準備してくださり、沢山の笑顔に囲まれ、もう街の人皆から歓迎を受けている様で、本当に嬉しかった。

大きな病院では、院内に牛や猫が・・・。何故?ベッド数も足りていないらしく、廊下や地べたに薄い布を敷いて横たわっていたり、その横を猫が横切り、カーテンなどの仕切りもなく周りに丸見えの状態で処置をしていたりと、日本では考えられない光景だった。

 

  

 

建物も酷く痛んで汚れていて、私はいくらお腹が痛くなってもここには来たくないと思ってしまった。余計にひどくなりそうだという思いしか無かった。しかし、病院に行けるのはまだ幸せだとの事で、中には病院に行きたくても行けない人や病院に行けても薬を買うお金が無く、苦しんでいる人たちもいるとの事だった。

 

  

 

さらに感動したのは、私たちの名前入りの旗まで作られていて、踊りや歌での歓迎会、そして心のこもったプレゼントも沢山頂いたこと。家族や仲間との絆をものすごく感じた。グループの仲間のお母さんが倒れたと聞くと、涙を流し、自分の事の様に心配されていた。そして何より、日本から来た知らない私たちに、何でここまで出来るのだろうか?オーダーメイドの民族衣装を作ってくれたり、私の家族のお土産も準備したいと、家族の好みまでも聞かれたのだった。

お金も無く、決して裕福ではない生活の中で、しかし心はとても温かく。帰る時も涙を流し「寂しい、寂しい」と言ってくれて、わざわざ空港にも見送りに来てくた。あっと言う間の3日間だったが、本当に沢山の事を学ぶ事が出来た。

 

  

 

ストライキが始まると言う事で、予定を変更。楽しみにしていた、マングローブなどの観光は中止となり1日早くダッカまで戻る事に。そしてJCFスタッフとのお別れパーティー。ここでもやはり踊りを見せてくれた。バングラデシュの人は歌や踊りが大好きだそうだ。

 

■児童養護施設の見学

ここの施設に居る子は、お母さんが身売り(売春)の商売をしていて、ストリートチルドレンだった子もいたそうだ。ここから学校に行き、卒業してから職に就ける様にと、パソコンやミシンの使い方なども教えている。

 

  

 

しかし、皆明るく元気な子たちばかりだった。先ほどのパーティーで踊りを踊ってくれた子も、ここの施設の子供たちだったそうだ。さらにお母さんが、社会復帰出来る様にと職業訓練などもしている。

 

■ツアーを振り返り

今回のスタディーツアーでは、人の心の温かさに触れ、人と人との繋がりを強く感じ、日々の生活の忙しさで忘れかけていた大事なモノを、改めて考えることが出来ました。

この様な機会を与えて頂き本当に感謝しています。このツアーで学び体験したことを、沢山の人に伝え、少しでも多くの人にバングラデシュの現状を知ってもらうのが私の役目でもあり願いでもあります。そして私自身さらに成長できればと思います。

まだまだ問題は山積で、私の出来る事は少ないかも知れませんが、小さいことでも出来る事をやっていきたいと思いました。まずは、いろいろ「知る事」が大切だと思いました。これからも、いろんなイベントに参加して勉強して行きたいと思います。

 

 

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