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スリランカ・レポート 2007年8月8日〜8月18日

杉山猛

スリランカのスラムをスラムでなくした「村づくりの当事者」に会って

 

8月8日(水)~8月18日(土)の11日間、スリランカ・コロンボ近郊のObeseykarapura (オベセイカラプラ)にあるスラム地域(不法居住地域)と、ダンブッラ近郊にある小さな農村において、 私たちの受け入れ先であるプレマシリ氏およびプレマシリ氏を会長とする、National Community Federation(全国地域住民連合 以下、NCF)の方々と共に、土地・生活・環境問題についてホームステイしながら視察した。

スリランカ。そこは紅茶の原産国として有名であり、現地シンハラ語で【光輝く島】の意味を持っている。その【光輝く島】で、NCFとはどんなことを行っているのか、スラム地域とは、一体どんなところなのか・・・、 また現実は、どんなものであるのか・・・

 

NCF(National Community Federation)とは?

NCFは、生活の向上や土地所有権問題など、生きていくための権利を獲得するために立ち上がり、実際に権利を獲得してきた。そうした「権利獲得のためのノウハウ」を、地域住民組織(Community Based Organization 以下、CBO)と共に、スラム地域住民(不法居住民)および多くの村人たちに伝えようと働きかけている。また、CBOを作り上げていくことも行っており、このCBOの各リーダーが結集した組織がNCF(非営利団体)である。

 

NCF(National Community Federation)の活動

NCFは、CBO各リーダーを通し【どのようにして居住環境問題を改善していくか】を話し合い、スラム地域住民が自らの手で計画・実行できるよう、経験を生かし、手法・方法を伝えていくこと、そしてスラム地域住民の諦めかけていた“夢や希望”を「実行」を通して会得してもらうことを目的にしている。会長であるプレマシリ氏をはじめ、NCFスタッフは、かつてはスラム地域の住民であり、同じ境遇にあった人ばかりである。また、自らの手で計画・実行することにより、職を身に就けることができ、小学校の先生、ゴミ処理施設のマネージャー、電気公社勤務、中には俳優をもこなすスタッフもいる。言い換えれば、“自立・人財支援=地域づくり・人づくり”でもある。

 

プレマシリ氏のバックボーン

1945年オベセイカラプラ生まれ。幼少時代、コロンボへ移住し、スラム地域住民として育つ。後に、プレマダーサ元大統領(1993年民族紛争のため暗殺)が、就任直後に政策を打ち立てた 【住宅10万戸政策】のプログラムに賛同し、自ら活動することで、“スラムをスラムでなくした「村づくりの当事者」”として、行政やスラム地域住民からの信用・信頼は高くなっていく。居住環境問題で国連にも出席した。

 

住宅10万戸政策とは?

土地所有権問題をはじめ、水道・電気・ゴミ等々の問題を解決するために、行政とスラム地域住民との間で話し合いが持たれるようになった。行政はスラム地域へ足を運ぶようになり、問題解決のために【誰が、いつまでに、何をするか】の約束が結ばれていき、確実に実行していくことで、地域住民との信頼関係も築かれていった。行政は資材を無償提供し、作業は地域住民で行うよう指示した。なぜなら、職を身に就けるためである。このようにプレマダーサ元大統領は、【スラム地域における居住環境問題】について、熱心に取り組んだ。“目標戸数として、まず10万戸の改善を実施する!!”これが【住宅10万戸政策】であり、プレマシリ氏が賛同したプログラムである。プレマシリ氏は当時を振り返り言う。

「“村づくり”は一人ではできない。地域一人一人が協力し合い、はじめてできることである。私も一人では何もできなかった。多くの難問・失敗を繰り返し、それでも協力し合って活動を行ってきた。また資材だけでなく、心の支援も必要であると考えている。この活動は、永遠に続くだろう・・・。」
プレマシリ氏の趣味は何かと問うと、
「私にとってスラム地域は赤ちゃんのようなもの。大切に育てなければならない。趣味は自分達の活動。そして一生懸命頑張ることが好き」【村づくり活動】を始めて、25年以上経つ彼が言うのである。(彼は、どんな時も決して初心を忘れてはいないのだ)

 

NCF(National Community Federation)の
ビジョン

“~人々から人々へ~
プレマシリ氏は言う。
「以前、我々の活動に対し、サポーターはほとんどいなかった。地道に活動をし続けることで、NGO団体や行政、その他サポーターも増加していった。スリランカにもNGO団体は、5,000を超える数がある。しかし、彼らの活動は「ビジネス」である。政治の変更、資金不足、期限超過があると、その活動は中断され、引き上げてしまう。だから60年間、スリランカの貧困は何も変わっていないんだ」と。 「我々NCFは、政治・資金・期限に左右されることなく、その場に留まって活動し続けることができる。自ら実行してきた経験があるからである。その経験を、より多くの人々へ伝え、【~人々から人々へ~】伝え引き継いで行くこと、またそれが我々の責任と感じている」

 

【光輝く島=スリランカの現実】を見て

 

コロンボ近郊にある、オベセイカラプラ。スラム地域に足を踏み入れた途端、何とも言い難い異臭。そして見渡せばいたるところに散乱するゴミの山。運河はドス黒く、とても生き物が生息しているようには見えない。そこには不法投棄されたゴミが浮かび、し尿も垂れ流す・・・。その運河で、子供たちはイカダに乗り遊ぶ。

 

悲惨な光景である。 彼らのほとんどは、定職に就けず、日雇労働をしながら、やっと一日を生活している状態。ある成人男性は、定職に就けない苛立ちから、飲酒・喫煙・麻薬に手を付け、刑務所に入ることも・・・。
スリランカでは、こうしたスラム地域がいたるところに存在する。中には、道路の片側には電気や水道が完備された、私たちが知るところの“普通の家”があり、その反対側は目を覆いたくなるようなスラム地域になっていたりする。
プレマシリ氏は住民に、訴えるように話しかける。「みんなの熱意があったから、大臣も地域調査のために動いてくれる約束をしてくれた。みんな、やればできるんだ!!他のスラム地域の人たちも同じことをしてきた。私も手を貸そう!!」と。

 

住民の多くは、農村地帯から、より高い収入を得るためにスラム地域に移り住み、またある者は紛争を逃れてきた人々である。彼らは自分で家を建て生活している。学校に行けない子供たちも多い。なぜ学校に行かないのか、プレマシリ氏に聞いてみる。
「子供たちは学校で学んだり、遊んだりすることは大好き。義務教育(中学生)までは、学費も要らないし・・・。けれど、制服を買うお金、文房具を買うお金がなく、行きたくても行けないんだ。だから、子供たちも大人の手伝いをしたり、仕事を見つけて働き、収入の援助をしているんだ。決して、望んでしていることではない。大人たちも子供を学校へ、そして少しでも設備が整った良い学校へ行かせたがっている。スリランカでは、良い学校に行くためには、【土地所有権】が必要なんだ」

 

これがスラム地域の住民が直面している現実である。しかし、抱えている問題は土地所有権のことばかりではない。ゴミ、水、トイレの問題も多く抱えている。ゴミ収集車も入って来れないような狭い路地。3週間に一度、収集に来るかどうか・・・不定期なのである。ゴミ集積所は設けられているが、ゴミを抱えて歩くには遠い・・・。コンポスト(ごみを炭化させる生ごみ処理機)の設置があるが、定期的にごみ収集に来ないため、その量の多さから処理しきれない。だから、住民は運河へ不法投棄し、それが当たり前のようになっている。
トイレも同じことが言える。個別のトイレはなく、地域住民共同である。日本のような、下水道はもちろんのこと、浄化槽の仕組みすらない。水で流し、汚水はそのまま運河へと流される。マラリア、デング熱といった死に至る感染症の感染源である害虫(主に蚊)が大量発生するのも頷けることである。それら運河の水が滲み込んだ地下水を使って、彼らは必死に生活している。

 

だが悲観的なことばかりではない。NCF、CBOの協力を経て、土地所有権を持ち、立派な家屋を自分で建て、浄化槽完備のトイレを設置した住民もいる。
「NCF、CBOの話を聞き、“このままではダメになってしまう”と感じた。そしてまず、家の中で一番汚れるトイレを綺麗にした。見においで。とっても綺麗だよ」
自慢げにそう話す。
「トイレを綺麗にしたら、家中を綺麗にしたくなった!!頑張って仕事して、お金を貯めて土地所有権も買い、とうとう家も建てちゃった。はっはっはっ!!」と笑う。
一軒を見学していると、次から次に「こっちも見に来て!!」と声を掛けられる。(こんな所にまで、日本人が見に来てくれた。彼らはうれしく、知って欲しかったんだろう)私たちメンバーの近くには、優しい顔をし、微笑んでいるNCFスタッフがいた・・・。「住民たちの変化を見ることが、とても楽しい」と言う。

 

 

コミュニティーを通して見えてきた村づくりの活動

 

1979年に、スリランカで最初に住宅プロジェクトを手掛けた、キリラポレという小さな村を視察した。 現地では【村づくり委員会】のメンバーの方々と、コミュニティセンター(集会所)でミーティングを行った。

「この村も、最初は荒れ果てていて、家も、ビニールや木板で打ちつけたものだったんだ。ユニセフとか、 セーブ・ザ・チルドレン(NGO)の支援を受け、住宅プロジェクトを始めたんだ。今私たちがいるこの建物も、技術支援を受けて、村人たちで建てたんだよ」

老朽化こそしているものの、立派な建物である。土地所有権の質問をしてみる。
「ここの土地は、政府から貰った。でも、所有権は無いんだ・・・。市役所から出て行けと言われれば、出ていかざるを得ない。でもまた、土地は貰えるだろう・・・。繰り返しになってしまうんだよ」

別のメンバーが、矢継ぎ早に口を挟む。
「スリランカという国は、貧しい人達には、何もしてくれない国なんだ!だから、自分たちでやるんだ!」

今まで見てきたスラム地域とは全く異なり、家屋、小さな公園、電気、水道、道路、ゴミ集積所・・・どれも綺麗に整備されている。しかしまたここも、【スラム】なのである。
「先輩から私たちへ、私たちから、将来を担う子供たちへ。【村づくり】のための努力と行動を、しっかり伝えていきたい。それが大切であり、守ってきたこと。だからこそ、成功したんだと思う。今は、土地所有権を得るために、プレマシリさんたちと相談しながら、頑張っているんだよ。所有権が無いと、良い学校にも行けないし、全く信用されないから・・・。これがスリランカという国のやり方だから・・・」
彼らの努力や行動は、“村”として形となっている。1人の【村づくり委員会】のメンバーが言った。
「あなたたちが今通って来た道・・・。私たちが、石を1個ずつ拾って作り上げた道なんですよ」
研修参加者全員、歩いてきた道を振り返り、見入ってしまった。プレマシリ氏たちNCFの活動は、子供会、婦人会、女性銀行※1の発足等々、居住環境問題だけでなく幅広い。

 

【子供会】では、将来、子供たちが非行に走らず、将来、自分たちで“やり遂げる力”を養うために、自立・人財教育を行っている。【自らがテーマを考え、発表する】という内容だ。子供たちは、みんな生き生きした眼をしている。 【子供会、大好き!とっても楽しいよ!!】私たちの歓迎会が始まる。踊りを踊ってくれる子供、歌を歌ってくれる子供、照れ笑いしながら披露してくれる。ちょっと間違えて、残念そうな表情をする子供も・・・。でも、みんな無邪気で子供らしく、とても可愛い。
「子供たちはここで経験し教わったことを、次の子供たちに教えるために、大人になってまた戻ってくるんだよ。僕もそうだから」と、NCFスタッフの一人が言う。
彼は【教えられる喜び・大切さ】を知り、現在、小学校の先生をやっているのだ。その彼ももちろん、みんなの前で踊りを披露してくれた。私たちもお返しに、【アブラハムの子】を披露し、子供たちと一緒に踊り、笑った。

 

【婦人会】では、「夫は、外で仕事をし、収入を得ている。みんなも何か身に付くことをやってみたら?」とのプレマシリ氏の提案から、みんなで検討し、手工芸を始めることを決めた。当初は民芸品を作っていた。大きなホテルからオファーがあり提供していたが、商品の【製造・販売元】がホテル名になっていたため、その後、民芸品づくりを止めてしまったという。なぜなら、作っても盗作として見られてしまうからだ。現在は、刺繍をあしらったカードを製作・販売している。(日本からも、100枚/200枚単位で注文が来るとのこと) 【カード1枚作成費用】台紙代21ルピー、布代2ルピー、刺繍糸代10ルピー  合計33ルピー【カード1枚販売額】60ルピー 【利益】27ルピー(日本円換算 約30円)
「苦難もあったが、今では主人の収入が落ちたときのために、手に職を付けることができたし、生活の足しにもなるし・・・。婦人会を作るきっかけをくれたプレマシリさんには、本当に感謝しています」
「今は、5名しかメンバーがいないけれど、もっと人数を増やして、いろいろなことをやってみたい」
彼女たちもまた、自立することの大切さを知り、夢や希望を追っている。私たちツアー参加者全員、刺繍カードをその場で注文していた。 “頑張ってね”の意味を込めて・・・。

 

こうしたビジネスを実現できた背景には、NCFの活動を良く知るセリンカBKが「自分たちの収入になることを始めたら?仕事をするなら、運用資金を貸してあげるよ」というきっかけをくれたことにあった。地域住民に声を掛け、仕事内容を決めてから、10,000ルピーを借りた。当初のメンバーは50名であった。1年以内の返済で、毎週260ルピーずつ返済していき、利子を含む合計返済額は、約12,600ルピーとなる。完済すれば、次は20,000ルピー、30,000ルピーと借入金も増額し、今は40,000ルピーを借りて、返済中である。
彼女たちは、ココナッツやインディアッパー(麺の一種)を売ったり、スリーウェイ(三輪バイクに似た乗り物)を修理するためのガレージを貸したりして、収入を得、返済している。

「10,000ルピー借りて、12,600ルピー返済するのはもったいないから、自分たちで【女性銀行※1】のような組織を作れるといいなぁ」
彼女たちの笑顔に、不安は感じられない。期待と希望に満ち溢れていた。

 

※1 女性銀行とは、上記の例のように、普通に資金を借りようとすると20%程の利子をとられてしまうことが多いので、NGO団体が立ち上げた、女性を対象とした組織。
例えば、毎週5ルピー(約5.5円)ずつ積み立てを行い、お金が必要なときに低利子(1%)で銀行から借りるという貸付制度をもつ。最初の限度額は500ルピー程度だが、長く続けていけば、借りられる額も多くなる仕組みである。この銀行はスリランカ中に約150の支店があり、津波被災後にはハバラドゥーワ地区のいくつかの村でも始まった。

 

 

ダンブッラ近郊にある山間の農村を訪ねて

 

コロンボから車で約5時間、ダンブッラ近郊にある山間の小さな農村。街のスラムとは、180度異なる景色である。自然に満ち溢れ、川・湖には生き物が生息している。そして、ここでもNCFの活動・プレマシリ氏が【活きている】のである。農村にコミュニティセンター(集会所)を作るよう働きかけたり、道路を作って車が通れるよう、村人たちの手によって整備もされた。彼らの家の多くはからぶき屋根で、家というより小屋に近い建物である。その隣にはレンガを積み上げ基礎とした、【改築工事中】の家も数多く存在している。それら改築中の家には、コロンボ近郊のスラム地域とは異なる共通点があった。

 「どうして、屋根も壁もレンガ造りなの?暑くないの?」とたずねると、村人はこう言った。
「野生の象が、食べ物を求めて村にやって来るんだ。からぶき屋根や木の壁だと、すぐに壊されてしまい、それで命を落としたり、ケガをする村人も少なくないんだ。レンガ造りの家にするのも、プレマシリさんのアドバイスのおかげだよ」

樹木の高い位置のいたるところに【見張り小屋】が設置してあり、象が来たとき、声を出し合って危険を知らせ合い、また見張り番役の“居眠り防止”にもなるのだという。
「あんな大きな象や、自然には勝てないよねぇ~」と、弱音を言ったプレマシリ氏・・・。
偉人と思える彼の 【人間的な部分】をみた一瞬であり、また一段と彼が【大きく】思える瞬間でもあった。プレマシリ氏の趣味は、【自分達(NCF)の活動をすること。そして一生懸命頑張ること】である。

私たちは、10泊11日の、長いようで短かったスタディーツアーをNCFスタッフ、プレマシリ氏と共にしてきた。コロンボ近郊のスラム地域を見て、その「悲惨さ」を感じ、反面、地域住民や村人たちの「力強さ」を知り、また、その「力の源」がプレマシリ氏を会長とする【NCF】 や【CBO】の活動であることを知った。

私たちにできることは何だろう・・・
単なる物資の支援は、“宝石の無い、宝石箱”となってしまうだろう。

プレマシリ氏は、こう言っていた。“資材ばかりでなく、心の支援も必要である”・・・と。遠く離れた日本で、私は思う。【スラム地域に必死で生活している現実の彼らのことを伝えよう、そして、スラム地域住民が抱える様々な環境問題、自立・人財支援を行っているNCF、CBOの活動のことを伝えよう・・・一人でも多くの人達へ・・・】
そしていつの日か、また、スリランカを訪れたい。今よりもさらに【光輝く島】となっていることを期待して・・・。

スリランカの実情と地域活動 ~活動リーダーと行動を共にして~

 

【2007年8月8日】

 

朝、名古屋からバンコクへ。ホテルに荷物を置いて地下鉄に乗り散策した。タイの地下鉄は黒いコイン使用で日本より進んでいる。後日、タイ空港も水冷式の冷房を使用している話を聞いて、タイの前回までの印象が変わり、ハイテクな印象を持つ。毎回、ボランティアに参加している木村(57)さんと相部屋になり、過去のボランティアや前回のスリランカの津波の話や生水の怖さ、夜中に珍しい日本人を見るために突然現地のおばさん集団に訪問を受けた体験談などを興味深く聞いた。その他、マラリアやトイレに懐中電灯が必須の話、カレーを素手で(右手)食べたり、トイレでは紙を使わず(左手)で拭く等の習慣を聞いたために、心の準備する。

【8月9日】

 

睡眠もとらず、AM1:00にバンコクを発ち、コロンボに朝到着。トイレにて空港職員に、二回に分けてお金を請われ、断った。観光客にはお金を請うてみる、一部の習慣を感じた。スリランカの人々は宗教心が強くほとんどの人が親切ですが、後日、小さな貧しい子どもに親がコジキまがいのことをさせているのを体験した。その他、この国ではタバコ以外に請われることはなかった。海外では、紙幣を見せるとすられる話を聞かされ、以後気を付ける。
迎えにきてくれたNCFメンバーとコロンボのゲストハウスへ移動した。リーダーのプレマシリ氏のほか、メンバーの中には自治会長もいれば、映画俳優や先生もいた。移動中、50mおきに銃を手に持った軍人が物々しい雰囲気で警備している光景を目にした。日本と違う緊張感がある。政府軍と北の[解放の虎]との内戦が20年継続中である。実際、この半年間に空港テロと石油コンビナートへのテロがあったばかりだ。

 

ゲストハウスに到着し、雑談と食事の後に、お互いの自己紹介と挨拶を行う。雑談の中でプレマシリ氏が「この活動は終りのない戦だ」と言った。話しを聞きながらプレマシリ氏に特別なオーラを感じた。雑談中は片言の英語とゼスチャーでなんとか冗談も言いながら現地のメンバーもそれぞれ面白く笑いは絶えなかった。しかし、ミーティングになると一転し、どの顔も沈痛な表情になり真剣な眼差しになった。彼らの学ぶ姿勢、なんとか良くしたいという強い信念をことのほか感じた。

 

現在のスラムのいきさつ、抱える住宅やゴミの問題、さらに現在のプロジェクトなど様々な問題点を討議する。コロンボの住民の半分はスラムに住んでいる。仕事を求めて田舎から出てきたり、津波やテロ危険地域から逃げてきたりしてコロンボに人が集中している。土地がないため、線路沿いや川沿いに勝手に掘っ建て小屋を建てる。トイレや下水がないため、直接川へ垂れ流し、ゴミを捨てる。こうした居住環境の不備がマラリア等の健康問題にもつながっている。

 

「我々は組織づくりを行っている。行政との交渉の仕方から計画の立て方、さらにワークショップを開いて問題と解決策を考えさせるなど、実際に立ち会いながら教えている。住民たちもはじめはなかなか動かない。だから問題を教えながら、集会を設けて啓蒙活動を行っている。リーダーを育成しながらスラム住民とコミュニケーションをとり、トイレや下水やゴミの問題に気付かせながら取り組んでいる」

 

子供会や婦人会も悩みながらも活動を行っており、プレマシリ氏や他のNCFメンバーはその活動で発生する様々な問題の解決を支援をしている。それに対して私は『暗殺されたプレマダーサ大統領も、彼の住民施策も、尊敬しています。それを継承しているプレマシリさんも他のメンバーにも敬意を表します。みなさんには素晴らしい夢があり それを生き甲斐とし、みんなで行動していることを羨ましく思います。今はみなさんとの出会いに感謝し、何かお役に立ちたい気持ちでいっぱいです』という旨を伝えた。

 

これは後でネットを見て知ったことだが、AHIの過去600名の研修生の中で、学ぶべきテーマが「リサイクル」と明確で、しかも自費で日本に来て学んでいったのはプレマシリ氏とHA氏の2名だけだったそうだ。 夕食は食堂でとった。夜の町を歩いて散策したがものすごぐ蒸し暑い。宮崎や名古屋以上に蒸し暑い。宗教上、四足動物は大切にされ、食べられることも殺されることもない。そのためか、牛ものんびりと国道を歩いている。野良犬や野良猫が多く、必ずデキモノがあり、どれもおとなしいが噛まれたら必ず狂犬病になりそうだったので予防注射の必要性を実感した。

 

この日はゲストハウスで1泊。蚊取り線香3本、アースマット2つをつけまくる。ゴキブリは巨大だが日本と違い動きがのろい。3階の部屋だが、蚊を5匹殺した。 翌日からはいよいよスラムでのホームステイ。1Fだろうし、話しに聞くとこの暑さでクーラーもないらしい。蚊と戦うのかなと想像しながら、この日のクーラーの涼しさに感謝しながら、翌日からの覚悟を決めた。

 

 

不法スラム・バドウィタ地区を訪ねて見えてきた問題点

 

【2007年8月10日】
朝、不法スラム(バドウィタ地区)に向かう。土地所有権などの権利獲得に成功した他のスラム地区の自治会長マイケルさんの挨拶を聞く。その後、その地域のリーダーの談判にも似た強い口調の質問に対し、プリマシリ氏が落ち着いて答弁を行った。プリマシリ氏の切々とした素晴らしい話に静まり返り、全員が真剣な眼差しで聞き入った。

「私たちは一人では何もできない。しかし、あなたたちはリーダーの元に結束した。その熱意が伝わりはじめて大臣を動かし、私と会ってくれ、この地域の住宅計画に乗り出す約束をしてくれた。 勝ち取った。あなたたちはやればできるし、他のスラムもそうやって地域の向上を獲得してる」

「何もしなかったら何も変わらない。あなたたちは、子供たちのために何もしなくていいのか?まだまだやることがある。今回の一つの成功にみんなが自信を持ち、今後も一致団結で改善に向かおう。交渉の仕方等は私たちが続けて教えよう。あなたたちの組織を、みんなで結束し、作りあげていこう」

スリランカ滞在中、ずっとこのような演説を各地で行い、地域のリーダーを啓蒙して育て、自立した組織をつくり上げるよう働き続けるプリマシリ氏の姿に感動させらることとなった。

スラム地区の住民みんなに、日本人の僕らまで大歓迎を受ける。翌日からも、首都のコッテ市の女性市長はじめ、元大臣、元市長、議員、さらに訪問地区の住人たちなど、行く先々で突然の夕食の招待を受けたりと、さまざまな人たちのお招きや会見や歓迎を受けたのは、単に日本人ということだけではなく、プリマシリ氏の人間性や組織を育て上げてきた今までの無償の活動が支援をされてると強く感じた。 彼のメンバーたちもそれぞれが個性豊かで素晴らしい人たちだが、その人たちのプレマシリ氏を見る時の眼差しを見ても、プレマシリ氏の思想や考え方や行動に触発されて、彼の活動に無償で参画してるのがよくわかる。 僕は一人のマネージャーとして、彼の行動や、スラムの一人ひとりへの愛情こもる対話を見て感動し、自問自答する毎日となった。

その後、バドウィタ地区の住民たちに自慢の住居を隅々まで案内される。次から次へと住民たちの手招きを受け、30件ほど見学した。「見てくれ、見てくれ」と自分の家の前で立って待ってる。なかなか解放してくれない。住民たちはとても狭い家に6~8名で住んでいた。勝手に電線を引っ張ってきている家はあったが、大半は電気もなく暗い。

 

その後、大便がたれ流されゴミの浮く汚い川や、集合洗濯場兼体洗う場所、ドアのない集合トイレを見学する。こんな場所でも、カメラを向ければ、子供たちはみんな笑顔だった。

 

その後、川隣の合法スラム地区※1へ移動し、トイレを見学する。 合法スラムでは、『子供会』で歓迎を受けた後、ゴミの分別の現状を見学。その後でトイレだけは豪華な家を10件ほど見学した。国が10万ほど負担し、20万ほど自分たちで出して自分たちで造る。トイレがホテル並になると、はじめて自分の家を汚く感じ、家を綺麗に造り直そうという気づきにつながる。なるほどなぁ…と感じた。

 

また後日、演劇を通して、子どもや親にゴミ問題に気づかせようとしている彼らの姿を見て、「綺麗と汚いの価値観をどのように教育をしてるのか?」と尋ねた自分を恥ずかしく思った。本やチラシではなかなか住民に浸透しないことを体感してきている彼らは、自分たちで工夫し、親や子供たちにリアルな演劇で懸命に伝えている。

 

民館では、下水やゴミ処理の工夫と今後の課題を聞く。汚い川は、住民たちの健康や生活の質の向上も奪い、子供たちにはマラリアによる死をもたらす。まずは、ゴミ処理と分別が重要なテーマとなる。

 

ゴミの回収は現行、3週間に一度しかない。しかし、住民の狭すぎる住居には、三週間もの長い間、臭う生ゴミを保管するスペースはない。だから、川にも捨ててしまう。トイレや下水の普及・改善もないため、みんな垂れ流してしまう。だからまず、住居問題を改善しなくてはすべてがうまくいかない。家ありき、同時にトイレや下水の問題、そして教育のための『子供会』『婦人会』…すべてが点ではなく、線でつながっているのだ。

 

『子供会』に参加し、子供たちに歓迎を受けた。この日のために、思いおもいの衣装を用意して踊りを披露してくれた。年長のリーダーは16才。下は5才ぐらいからの『子供会』であろうか。今の日本の子供社会にはない『子供会』ならではの、先輩が兄貴代わりに教育する素晴らしさに触れる。みんな後輩を可愛がりながら導く普段からの姿を感じた。みんな親切で可愛く見える。立派なリーダーに導かれ、後輩も良いリーダーを目指し受け継がれていくという。プレマシリ氏も、先生のビヤーンもそうだったという話を聞いた。

 

ホームステイ初日、近所の男性たちとステイ宅の屋上で夜遅くまで歓談した。ステイ先はスラムといっても所有権もあり、3部屋ある綺麗なお宅だった。部屋は2階の小さめの部屋だが、日本の洋式と変わらない。ステイ先の主人はスリッパの製造所に勤めて見える方で、老夫婦は寝室を僕らにあてがい、自分たちは1Fの居間のタイルの上に直に寝てみえた。水洗トイレで、部屋の天井にはどの部屋にも扇風機が回っており、意外と涼しく蚊もいない。心地よく熟睡できた。ステイ先のご夫婦、近所の人の温かいもてなしと気づかいに、心から感謝した。

 

※1 合法スラムとは土地の使用権の公的承認を勝ち得た居住区。使用権があっても所有権がないため、強制立ち退きにあうとまた非合法スラムへ住まざる得ない可能性がある。だから所有権を得るまでは頑張らないといけない。

 

 

コッテ市アルノーダヤマーワタ地域を視察して

 

【8月11日】

 

スラム二日目、主都コッテ市アルノーダヤマーワタ地域(昨日と同じく住宅計画を大臣から勝ち取つたばかりの地域)に赴く。
住宅省のプログラムである住宅計画事業の始まりとして、住宅省職員、土地埋め立て公社および地域住民代表による地域調査に同行。野球場ほどの場所に600戸ぐらい堀っ建て小屋が並び、ここに5000人近く住んでいるらしい。

家を建てたいがために川を勝手に埋め立てて、また下水やトイレもないので垂れ流す。今では幅2mしかないし流れもない状況だ。そんな家を200戸ほど見学した。

この調査は、不正に又貸ししている者を暴く狙いもある。職員と口論している住民も、プレマシリ氏が仲裁にはいると治まる。
その後、近くの寺兼幼稚園で、『男は組織づくりを、女も組織づくりを』で始まった婦人会・手工芸グループと会談した。
「手工芸を学び教えるうちに、これを活かせないかを考えるようになりました。頑張っているが、綺麗なお店には、自分たちみたいな身なりでは入るのも躊躇してしまい、なかなか販路を拡大できないのです」と悩みも聞いた。

 

【8月12日】

 

朝、Sunday寺集会・日曜学校に行った。朝早くから、共に白い民族服を着た親と子が連れ添い続々と大きな寺に向かう。
イスラム教であるHA一家も子供連れて仏教の寺院に集まる。スリランカでは朝6時になるとテレビ番組でのお経を最大音量で流す。遠くで聞こえるお経とリスの鳴き声で目が覚める。
(ちなみに仏教70%、ヒンドゥー教15%、キリスト教8%、イスラム教7%)

 

生活のど真ん中にそれぞれの宗教がある。日曜学校は日曜日に寺院で歴史や国語を教えている。
ちなみに、子供たちの識字率は9割を越す。親は家事の手伝いで午前中の学校を休ませても、塾にはほとんどの家庭が休まず通わせているらしい。お母さんたちは教育には熱心だ。

 

キリラポネ(78年にプレマダーサ首相時、初めて行われた住宅計画建設地域、SAVE THE CHILDRENが融資)地域を見学。
初期成功したモデル地域で、街づくり委員会の方と会談した。当事の苦労と失敗談を聞く。
「当時、村づくりは自前で、手さぐりから始まった。トイレや公園も自分たちで作ったし、ゴミも一箇所に集めるようにした。道路は真っすぐにすれば良かった」と、設計ミスが心残りのようだ。

 

リーダーの一人の女性が当時を振り返り……

 

「学生時代は、恥ずかしくて友達に自分の家を見せられなかった。だから15の時からこのグループで活動している。住民組織のモデル地域であるが、街中にあるため土地が高く、未だ土地所有権はないのです。土地所有権で子供の入学の合否も決まるので早く獲得を目指してます」と言う。
その後、ステイ先に帰り、ナンダラ主演の映画を観賞した。映画の中での彼の熱演を観て、本当に俳優だったとわかりびっくりした。近所の公民館で、ナンダラとメンバーによるゲリラストリート演劇を観た。内容はこんな感じだった。

 

子どもが現れてゴミをポイポイ捨てる。
注意すると、母さんがお使いの途中で川にゴミを捨ててくるんだよ、と言ったから……と言い訳する子ども。 そこへ、マラリアで子どもを亡くして自暴自棄に酔っ払う男が泣きわめきながら現れる。 さらに男の前に、蚊とカラスに扮したメンバーが現れる。

 

蚊とカラス
「マラリアは俺たちがばら撒いた」

 

子どもを亡くした男:
「なんで悪いことをするんだ!」

 

蚊とカラス
「悪いのはゴミを捨てる人間の方じゃないか!」

 

子どもを亡くした男
「好きでばら撒いてるんじゃない!じゃあゴミは捨てない事を約束するよ!」

 

蚊とカラス
「僕らもマラリアをばら撒かない事を約束するよ!」

 

太鼓を打ちながらの迫力ある熱演に観客の子どももお母さんたちも次第に引き込まれていた。

 

各地で月3回ほど演じるらしい。その後、スラムの成功者の4階建ての家宅を見学。このスラム地区でのモデルになっている。日本で何年も出稼ぎしたとのことだった。今夜の屋上歓迎会には、川向こうの自治会長とステイ先の主人が加わった。

 

 

コッテ市サハスプラ地区を視察して感じたこと

 

【8月13日】

 

コッテ市サハスプラ地区の15階建てアパートで高層建築プログラムを見学。土地を生かすために高層アパートは必須である。しかし、スリランカの人は自前の家づくりの楽しさを求め、出来上がりの高層ビルではそれが不可能であるため、当初はなかなか入居希望者がいなかった。当時はプレマシリ氏たちが無理やり入居させたらしい。

 

その後、コッテ市役所に向かい、女性市長、助役と市長室にて面談。市長にいきなり「あなたたちは私たちに何が出来ますか?」と聞かれる。それに対し、秋田さんが「今回は施しやボランティアで来たのではない、勉強で来たのです」と返す。「では何が気づいたことを教えてください」と市長に言われ、以下のような発言をさせていただいた。

 

「スリランカの人々は親切な方々が多く素晴らしい国だと思いました。スラムや川やゴミに対するプロジェクトも素晴らしいですね。国の経済の発展のためにも、子供の教育や健康のためにも大切だなと感じました。全てが住宅問題や下水、ゴミ処理の改善なくしては果たせないと思いました」

 

「今回、市長と同じように熱意をもって住民活動をされているメンバーたちと知り合いました。プレマシリ氏は日本でも知名度があり、本当によく考えて活動されていらっしゃると思いました。そのリーダーたちと行政がミーティングの場を増やし、もっと協力しあうことができれば、住民の生活改善も必ず早期実現できると思いましたし、また逆に住民リーダーたちと協力しあわないと実現は不可能だと思いました」と。

 

またその他、健康問題の話題が出たとき、市長は置き薬に関心をお持ちになられたようで、「マラリアにも良いのですか?」と問われ、僕はそういう薬ではないが初期治療には役立つことをお伝えした。

 

スリランカに来て4日間、プレマシリ氏とメンバーたちの活動を見て感化された僕は、日本人の僕にこの国で滞在中に何かお役に立てることはないかと考えていた。もし、僕らの意見で、彼らの活動が少しでも行政に支援されることがあれば良いなぁと思う一方で、出すぎた真似をしてかえってやり難くなることがないようにとも考えていた。
そこで、前日にプレマシリ氏に「今の市長は協力的ですか?そうでないなら強い口調で言っていいものだろうか?」とプレマシリ氏に聞いたところ「今回の女性市長は協力的だから、強い口調より市長の施策を誉めてくれた方が良い」とアドバイスを受けていた。
実際はどうなったのか?と気がかりではある。なぜなら、ボランティアする側は良かれと思ってやるのだが、かえって傷つけ、自己満足に陥り、それに気づかないことを今度のツアーで少し感じたし、彼らに学んだからだ。営業と同じく、相手の立場を考え、心を配ることがとても大切なんだなと感じた。

 

市役所を後にして、リールカンパニー(高層建築専門の建築会社)に向かう。社長は元大臣で、日本語がとても上手な方だった。20年前、プレマシリ氏と知り合い、貧困層に共にアプローチしたという。当時のプレマダーサ首相の100万戸計画での話から聞いた。

 

施策として、政府は住民に土地を2ピース与えた。インフラは政府が貧困層に与えた。1万ルピーのローンもくれた。残りの9万ルピーは自力で稼ぎ、自分たちで作りなさい。デザイン、方法、材料、労力を住民に教え、住民に作らせる。その結果、政府が作ったものより、格段に良い家ができたという。

 

また、3グループに分けてワークショップを行い、2日間でトレーニングするCAP(Community Action Planning)作戦を行った。具体的には以下のような内容だ。

1.全員で2時間現地を歩いて問題点を考える。

2.コミュニケーションをとり、問題と優先順位を決める。

3.リストアップする。

4.専門職を交え、戦略ミーティングを行う。

5.3グループを集め、集約し、アクションプランを決定する。

 

当時も現在同様、コミュニティの人たちを参加させることに一番苦労している。そんな説明を受けた後、またサハスプラの高層アパートに戻り、子供会の歓迎を受けた。

 

コロンボ市役所内環境課に向かう。ゴミ担当責任者と会談した。コロンボ市だけで1日700トン(70%が生ゴミ→有機肥料)のゴミを処理する。車は125台(日本から75台寄付)である。半分を市役所が、残り半分をプライベートカンパニーに任せている。6つの袋に分別し、週一度回収しているテスト地域を50軒から500軒にして試みている。今困っている問題は、最初に試みたミドル層にはゴミの分別等もよく浸透しているが、貧困層にはなかなか浸透しないことだと言う。

 

何か気がついた点はないか?という問いかけに対して「経済的発展と教育と健康のためにも綺麗な都市づくりは一番大切なテーマで、そういう意味でもこちらの部署は大変重要な仕事を行っていると思います。スリランカの発展はこの部署のプロジェクトの成功に尽きると思います。ゴミの解決には住居の整理、川の整理、住民への教育が大切だと思います。地域の活動グループは素晴らしく、あなたと同じ熱意をもって、スラム住民たちにゴミ問題を演劇等を交え、啓蒙しています。リーダーのプレマシリ氏や、HAたちとのミーティングの場を数多く持つことが大切で、彼らとの協力がない限り日本の例を見ても難しいと思いました」と発言させていただいた。

 

 

コダンブッラ地区マヤウルポタ村とコラカハデニヤ地区を訪ねて

 

【8月14日】

朝6時から5時間かけて、ダンブッラ地区マヤウルポタ村へバスで移動した。この地域は元コロンボ市長が関わり、住宅省のプログラムを推進している。アフリカのサバンナのような地域だった。道は赤土で、車が走るとほこりが舞う。
この村で住民や子供会の歓迎を受ける。倉庫を見学した。湖畔の日陰で食事。水浴びと釣りの後、コラカハデニヤ地区に2時間掛けて移動した。みんなが村人に歓迎を受け、それぞれがプレゼントをもらう。蛇をもらった。地域リーダーの議員は良きプレマシリグループのメンバーの一人であった。

学校でキャンプファイヤーを囲み、子供のトラディショナルな踊りと歌の歓迎を受けた。メンバーによる教材売りのゲリラ演劇を鑑賞した後、ジャングル内の議員宅に宿泊した。水道はなく、水が貴重で、大きなタンクで水を貯水している。夜は本当に真っ暗だ。

 

【8月15日】

朝、議員の奥様とココナッツを採る。朝食後、お坊さん達が瞑想する山寺の麓に行く。8時くらいになると、ぞろぞろと山から80名近いお坊さんが一列で降りてくる。お坊さんの中には白人も日本人もいるらしい。待ち構える地元の住民たちから朝の食事を受け取り、また一列で山へ登っていく。後をつけて40分ほど急な山を登って行った。途中、猿やサソリがおり、頂上には四方が30メートルほどの巨大な岩があり、その影に瞑想小屋がたくさんあった。

その後、コラカハデニヤ地区に戻り、田舎の家の建築をみる。レンガも自分らで造り、土塀の家が多い。象に壊された家もあった。その時の恐怖のひとときを住民に聞いた。ゲリラ演劇中に誰かが「山頂に象が現れてこちらを見ている!」と大声で指差すと、みんなが自宅に逃げ帰った。象は50頭近くで現れ、毎年踏まれて死者も出るらしい。象の見張り小屋に登ってみた。その後、5時間かけて帰る。

 

【8月16日】

朝、男性陣はHAの職場へ行き上司と面談後、プレマシリ氏宅へ行った。彼の家だけは天井に扇風機がなかった。

その後、コッテ市トタランガ地区に行く。セリンコ銀行融資による、女性銀行参加者グループと会談した。一人年間10万円ほどを5人グループで借りて、週2,600円ほどを返していく。年率26%である。借りたお金を元手に、駄菓子屋さんや八百屋を営み始め、それぞれの女性がいきいきとしている。

その後、HAの母校の前の川に行く。当時のスラムの跡はない。買い物後に空港へ送ってもらい、メンバーたちと別れを惜しんだ。海外支援では学校とか、建物を造るのにお金を使うよりも、このような人づくりや組織づくりを無償で行っている人たちの活動を支援したほうが、費用対効果があるのではないかと感じた。

 

【8月17日】

夜中、突然空港カウンターで、チケットの日付を間違えてたことに気付きみんなが不安になる。飛べないことが確定し、近場に宿を見つけて一泊した。朝ミーティングし空港へ行く。夜、タイ航空の偉いさんと面談。同行の仲間が親の不幸を演技し、同情を買い、深夜飛べた。

 

 

11日間のスリランカ視察で、学んだこと、気づいたこと

 

【8月18日~21日】
8月18日の朝、タイに着く。この日は結局、飛べなかった。8月19日も帰れなかったが、翌日のチケットは買えた。8月20日の深夜、やっと飛べた。そして8月21日、セントレア着。
メンバー全員、疲れ果てた状態ではあったが、その表情は充実感で満ち溢れていた。

【11日間のスリランカ視察を終えて】

プレマシリ氏のAHIへの言葉より・・・・・

「貧しいということは将来が考えられないということなのです。人と人とのつながりを大切にする姿勢は、私たちのように貧しい者に力を与えるものなのです。人と人とのつながりが、地域の課題に取り組む時に、最も重要な要素であると考えているからです。そのことを私たちは、頭ではなく、五感で感じました。AHIには、そういう匂いがしたのです。」

今でも心に残っている言葉です。

スリランカの人々の暮らしの視察を通して、いろんな現実を目の当たりにし、多くの発見や気づきを体感した11日間。そんな貴重な体験の機会をいただけたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。

単に観光地を巡ったりするものではなく、様々な人々との出会いとふれあいがありました。環境に我慢することもありました。アクシデントもありました。そのすべてが、お金では買えない体験です。そして、何よりも尊敬すべき人物とその活動を共に体験できたことが、大変有意義でした。

初めてのホームステイも感激しました。プレマシリ氏をはじめ、メンバーの方やステイ先のご家族はいつも僕らを気遣ってくださいました。皆さんに学んだことは他の社員にも伝えていきたいと考えています。自分のできることとして、きずなASSISTの意義を浸透させていきます。

共にツアーに参加された皆さま、そして忙しい中、今回の機会を与えてくださった会社に感謝とお礼の気持ちでいっぱいです。また今回、行く先々で歓迎を受けたのも、AHIの普段の思想のおかげと感謝しています。ありがとうございました。

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