きずなASSIST
KIZUNA Assist
スリランカ・レポート 2005年8月8日〜8月20日
山田高史
「Can You Help Me ?」津波被災地にて
ニゴンボからマータラへ向かう途中、スマトラ沖地震の津波被害で横転した電車付近で一人の少女が近づいてきた。
「Can You Help Me ?」
僕に話しかけてきた。
そこは、主要道路から一歩入ったところ。
NGO(※)も踏み入れていないところ。
「非営利団体」とはいえ、運営のためには評価も必要。
どうしても人目のつくところでの活動が目に付く。
このように一歩足を踏み入れると、本当にかわいそうな子供たちが助けを求めている。
家が無くなった。仕事が無くなった。
道具が無くなった。何もかもなくなった。
お金をください。
僕は、何も言う事ができなかった。
ただ、お金をあげればいいことなのか?
お金をあげたら、彼女たちは、どのようにそのお金を使うのだろう。
そのときの空腹を満たすための、食費に使うのだろうか。
いくらあげれば満足するのだろう。
何人の人たちが、少しのお金で助かるのだろう。
お金をあげることは、簡単なことだ。
しかしお金をあげることが助けになるだろうか?
そのお金を使ってしまったら、
またお金をもらいに観光客を探すのだろか?
お金をあげてしまったら、
他に働こうとしなくなるのではないだろうか?
お金をあげることは
ただの自己満足にしかならないのではないだろうか?
無責任ではないだろうか?
僕に、何ができるのだろうか……
とても深く、考えるきっかけになりました。
※NGOとは?
NGO(エヌ・ジー・オー)とは、英語のNon-Governmental Organizationの頭文字を取った略称で、日本では「非政府組織」と訳されています。 一般的には、開発問題、人権問題、環境問題、平和問題など、地球的規模の問題の解決に、「非政府」かつ「非営利」の立場から取り組む、市民主体の組織を「NGO」と呼んでいます。
SFOの職員ニローシの村、マータラにて
「実は僕も」と、案内役のニローシが言う。
ニローシは、たくさんの被災者を助けているSFOの職員。
キャンプ地、仮設住宅に生活する人たちの面倒をみたり、葬式をあげたり、生活の援助、支援、精神的苦痛を助けたりしているという。
案内されたその村は、ニローシの村。
そこは、ほとんど家がなくなってしまった。
「ここに、僕の家が、あったんだ。 向かいに姉が住んでいたんだ。 ここは、結婚を約束した彼女が住んでいたんだ」
瓦礫しかない。床のコンクリートを指差して、ニローシが言った。
そこで彼の言葉は、声にならなくなってしまった。
いたたまれず、僕はその場を離れた。
周りには、家を作っている人、ボランティアで手伝っている人たちが目に入った。
少し見渡すと、ぽつんと建っているだけの家の庭のところで、
イスに座る少女がこっちにおいでと手を振っている。
僕は、自然と足が向いていった。
僕に、何ができるだろう。
また、お金がほしいのだろうか?と心では思っていたのだが、少女は違った。目を輝かせて彼女は言う。
「友達になりませんか?」
近所の友達は亡くなってしまったのだろうか?
彼女は、そんなつらい気持ちを感じさせず、「この津波の被害のおかげでいろいろな人たちに助けられている。
そして、いろいろな人たち、人種、宗教を超えて、話をすることができるのよ」と前向きに言う。
僕が、日本人だとわかると、日本人の友達もいるよと、一通の手紙を見せてくれた。
北海道の青年だった彼は、災害の後、一人で、スリランカに訪れ、被害の悲惨さを目の当たりにし、日本に帰ってから公演等を開き、 スリランカの現状、援助の必要性を説いているという。
手紙には、夢を語ったり、他にもアフガニスタンのような国があることを語りながら、彼女に“元気を出せ”と勇気づけていた。
考えさせられた。 こういう助け方もあるのだな。
そして、こういう前向きな考え方のできる被災者もいるのだなと。
※SFOとは?
NAFSO(国際漁民連合)のマータラ支部
Southern Fisheries Organization (南部漁民連合)の略。活動は2005年で10年目。
【主な活動内容】
1.漁民組合作り及び活動の手助け
2.女性グループづくり
3.政府へのアドボカシー(政策提言)
4.2004年年末の津波被害の復興支援活動
家屋瓦礫の撤去、掃除活動、ボートやネットの無料支給、及び技術移転。
被災者キャンプの問題を何とかする。
心のケア・カウンセリング活動。被災者の自殺防止。
被災者が住む仮設住宅にて
「僕も写真を撮って」
小さい子供たちが、無邪気に集まってくる。
写真が珍しいのか、すぐ確認できる
デジカメで撮った画像を見て喜んでいる。
「遊んで、遊んで」と寄ってくる子供の中に
もぞもぞしている少年がいた。
一緒に遊ぼうと話しかけると、
最初は話しにくそうにしていたが、口を開き始めた。
「津波で家族、親戚合わせて5人が死んでしまった。
僕は、悲しい。すごくダメージを受けている」という。
僕は、言った。
下を向いていちゃダメだよ。
上を向いて笑って一緒に遊ぼうよ。
きっといいことがあるから。
少し、微笑んだような気がしたが、
そっとその場を離れていってしまった。
生後3ヶ月の子供を抱いた若い母親がいた。
『可愛いね。僕にも娘がいるんだよ。
抱かせてもらっていいかな?』と話しかけると
母親は嬉しそうに自分の娘を抱かせてくれた。
そして、こう語った。
「私とこの子はとても幸せ。
津波が来たとき、この子はお腹の中にいたの。
ダメだと思ったけれど、この子を助けなければと
必死で木の上にのぼり、逃げることができたの」
「そのとき怪我してしまったけど」と足を見せてくれた。
何針も縫ったアキレス腱があった。
にもかかわらず、彼女は「私は幸せだ」と、笑って話す。
2人とも違いはあれ、話すことによって、
少しずつ心を開いていくのではないだろうか。
少しは楽になり、助けになったのだろうか?
スリランカという被災地で見た真実
現地NGOの人は言う。
もともとスリランカという国は、貧しい国である。
津波の被害を受け、各国からの助けがものすごく入ったが、
まだまだ貧しい漁民たちは問題を抱えている。
まず第一に、住む家がない。
もちろん、お金がないこともあるのだが、 津波が来ると危ないからという理由で政府が打ち出した、海岸200メートル以内に家を建ててはいけないという規制「200Mバッファゾーン」も新たな問題を生んでいる。
なぜなら、漁民は海の近くの家でないと仕事にならないからだ。
二つ目は、働きたくても働けないという現実。
漁民たちは仕事をしたくても、船や仕事の道具がなくなってしまったため、仕事ができなくなってしまった。
三つ目は、津波に対する防災教育の遅れ。
津波がどうして起こるのか?
今度来たらどうするのか?
災害時における対処法などの防災教育の遅れにより、復旧もまた遅れている。
しかし、一番大事な問題は、援助をした国々、日本も含めた先進国が、政府を変えてしまったこと。
政府は、貧しい人を助けるのではなく、 国のためにそのお金を使っている。
例えば、高速道路を造ったり、 観光のための施設、ホテルなどを造ったり。
政府は住民のためというが、本当に必要なものと全然違うことにお金が使われているような気がする。
お金をあげることは簡単でいいように思えるが、
実は、無責任なことでもある。
使い道はわからない。
きちんと使われるのかもわからない。
お金は使い道ひとつで、いろいろなこと、いろいろな人を変えてしまうからだ。
災害の地を訪問し、いろいろな人に出会い、自分のこと、発展途上の国の人のこと、日本のことを考えさせられた。
お金では買えないとても貴重な体験をさせていただいたと思う 。
お金の援助はもちろん必要だと思うが、実際に目で見て、真実を伝えること。
これからどうするか。何をしなければならないのか。
それを一緒に考えたりすることが、何より大事であると思った。
未来を担う子供たちには、被災という辛い経験を糧として、明るく前向きに考えてほしい。
そして、たくさん学んで明るい国づくり、世界づくりに協力していただきたい。
日本も人ごとではない。
このような子供たちがいること。このような国があるということを知り、自分たちの置かれている環境を考え、自分たちに何ができるかを考えて、これからを生きていきたい。
そして、少しでも誰かの役に立てば、何かの役に立てればと私は願う。
スマトラ沖地震の津波被害がもたらした悲劇
スリランカ研修に参加させていただき、スマトラ沖地震における津波被害の大きさを実際にこの目で見て、自然の脅威を強く感じました。
そして、津波被害の爪痕と現地の人々の苦しみを知り、 自分がいかに恵まれた状況で生活できているかを痛感した忘れられない貴重な体験でした。
今回、私はAHIが企画したスタディーツアーでボランティアの方々と一緒にスリランカを半周しました。
西海岸と東海岸に共通していたのですが、大津波から半年以上経過しているにもかかわらず、現在も海岸には流されてしまった家のガレキなどがそのまま放置されているような現状で、
まだ仮設住宅での生活を余儀なくされている人がほとんどでした。
最初の目的地のマータラへ向かう途中に電車が流されて脱線してしまいそのまま放置してある場所を通った時、
一人の女の子に
「Can you help me?」
と聞かれ、私は何も言ってあげることができませんでした。
とてもショックでした。
このひと言をきっかけに、私はこの研修の意味を
さらに深く考えることになりました。
マータラに着いて、現地のNGOスタッフであるSFOのスタッフから最初に現在の状況について詳しく説明を受けたのですが、
ほとんどの漁民が被害を受けたと聞きました。
家屋が流され、漁に使うボートやネットなどもほとんど流されたり、壊れてしまったこと。
トイレなどの衛生面から健康、皮膚病などいろいろな問題が生じたこと。
こうした問題は、NGO団体などが懸命に役所などへ訴えた結果、現在はやっと行政が対応してくれるようになったそうです。
また、心のケアの問題も出ているらしく、現地では、ボランティアのカウンセラー6人で100人の子供を診ているとのことでした。
奇声をあげたり、不眠症に悩まされたりする子供たちが多いそうでした。
幾人かの父母は、子供を亡くしてしまったことを苦に自殺をしてしまいました。
心のケアは親たちにも必要で、セラピーの結果、自殺者は減ってきたそうです。
物資の援助だけではなく、精神的な援助も必要だと感じました。
※SFOとは?
NAFSO(国際漁民連合)のマータラ支部
Southern Fisheries Organization (南部漁民連合)の略。活動は2005年で10年目。
【主な活動内容】
1.漁民組合作り及び活動の手助け
2.女性グループづくり
3.政府へのアドボカシー(政策提言)
4.2004年年末の津波被害の復興支援活動
家屋瓦礫の撤去、掃除活動、ボートやネットの無料支給、及び技術移転。
被災者キャンプの問題を何とかする。
心のケア・カウンセリング活動。被災者の自殺防止。
西海岸と東海岸、津波被害に遭った漁村を訪ねて
津波の後、家に戻れた人は少なく、家が壊れてしまった人はキャンプで生活をしていて仕事もない状況でした。
行政が援助してはくれますが、支援が圧倒的に少ない現状でした。 津波の後は、キャンプや小さな借家に住んでいる人がほとんど。新しい家を建てるための土地はまだ供給されておらず、いつ土地がもらえるかもわからない現状で、引っ越したくても離れていく場所もない状況でした。
そんななか、被害に遭った漁村を訪ね、実際に漁民のグループとミーティングをしてきました。 もともと海辺に住んでいた彼らですが、西部海岸から100m.(東部海岸は200m.)の場所は危険という理由から今では電気も水道もこないそうです。
しかし、一番驚いたのは、彼ら自身、
まったく津波の知識を持っていなかったこと。
それが被害を大きくしてしまった原因の一つです。
今、ここでできる支援として、私たちは津波の知識と地域でできる範囲の対策の方法を伝えてきました。 彼らは真剣に話しを聞いてくれて、何とかしていこうという気持ちが強く伝わってきました。彼らは自分たちで変えていこうという前向きな気持ちを持っており、それがとても印象的でした。
また、東海岸は西海岸以上に被害が大きく、ほとんど復興は進んでいませんでした。学校も壊れてしまい、子供たちがあまり勉強できない状態が続いています。
復興支援は西海岸に集中しており、東海岸には西海岸ほどNGOは入っていません。東海岸地域には、タミル人やムスリム人が住んでおり、西海岸のシンハラ人と比べると人口も少なく言葉も違うので、そういった理由もあり復興が遅れているという話でした。
東海岸地域は昔、内戦があり、現在は一応停戦状態が続いていますが、いつまた戦争が起こるかわからない状況で、現地の人々はそれを恐れていました。
車での移動でも何回も検問を通るなどをし、とても物騒な感じがしました。
私は平和の大切さ、ありがたさを改めて実感しました。
心豊かなスリランカの人々の素顔にふれて
今回のスリランカ研修で一番うれしく感じたのは、ポトフピティアという村を訪れ、シンハラ人とタミル人の二つの民族がとても仲良く一緒に生活をしていたのを見たときです。
彼らはとても貧しい生活をしていましたが、お互いに助け合い、言葉も宗教も超えて一緒に生活をしている。そんな人々を見て、とても心豊かに感じました。
また、訪問した先々で感じたことですが、スリランカの人々は私たち日本人の訪問をとても喜んでくれました。彼らは自分たちの踊りを見せてくれたりし、できる限りの歓迎をしてくれました。
そして、「来てくれるだけでうれしく感じる」と言ってくれる。
スリランカの人々は津波という災害に遭いましたが、とても心豊かに生活していることを本当に強く感じました。
特に子供たちはいろいろな苦労をしているにもかかわらず、とてもうれしそうに案内をしてくれて、私はとてもうれしくなり、いつまでも心の豊かさをなくさないでほしいと感じました。
今回、私は自分一人では大したことはできませんでしたが、たくさんの経験をさせていただき、広い視野を持つことで客観的に物事を考えられるようになった気がします。
働ける場所があり、帰る家がある。
それが当たり前の生活でしたが、それすらもできないでいる人々がいることを知り、自分に与えられた環境がいかにありがたいことなのか知ることができました。
私が日本でできることは、まだまだ世界には恵まれない国や人々がいるということをたくさんの人に伝えていくことだと感じました。
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