072: しつけは一心からくるおしつけ

2012.10.10

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 日本の家庭における子供のしつけで、「他人に迷惑をかけるな」が圧倒的に多いそうだ。
 これは人間として最低守るべき大事なしつけで、異論はないが、より高き教育を目指そうとすると、果たしてこれでいいのだろうか、いささかもの足りなく、消極的な感じがしてならない。他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいだろう、俺の知ったことかというような、この頃の風潮は得手勝手なエゴイズムを生み、様々な歪みや病の社会現象をひき起こしている。
 また他人のものを壊しておいて、弁償すれば文句はないだろうと、申し訳ない、すみませんの謙虚な気持ちがない、世の中銭金だけで済むと思ったら大間違いだ。迷惑というのは物質的なものだけではなく、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などの感覚や精神的なもの、あるいは自分には思いもよらぬ、様々な状況や空間があって、自分では迷惑をかけていないつもりでも、周りには不愉快にさせることもある。例えば電車や公共の場所で他人の目をはばからず厚顔無恥の化粧、極端な服装、騒々しいおしゃべり、長々の携帯電話等々。
 TPOをわきまえず、手前勝手な利己主義が横行し、はびこっていく様相を見ると、今一度しつけの中味や仕方を考え直さなければならない。例えば「他人に迷惑をかけるな」でなく、「他人には親切にしよう」「他人の役に立つことをしよう」といったような積極性と自発性を育むしつけ教育が必要ではなかろうか。
 この間とある大学の教授が「子供の育て方」についてこんなことを言っていた。大いに共鳴共感した。
・子供にとって苦手なこと、いやなことをさせる。
 これは人間形成において大切な我慢すること、忍耐する力を養う。
・悪いことをしたら、その場でスパンク(お尻をぶつ)する。
・親の価値観(判断基準、行動基準)を堂々とおしつけよ。
 親子の関係も師弟の関係も平等ではない。特に弱いものいじめは言語道断、卑怯者のすることだ。弱いものに対しては自分の身を呈してでも守ってやれ。今日より将来を担う新入社員が入ってくる。もつ価値観はいろいろでも、人間として事の良し悪しはしっかり教えていく必要があるが、またそれ以上に重要なことは、迎える側としてももの事の是是非非をはっきり言える人をつくっておかなければ。
 よくよく考えてみると、相手が好むと好まざるとに関わらず、「しつけ」とは一心からくる「おしつけ」かもしれない。

平成十四年三月三十一日