002: マイナス発想は害あって益なし
2009.11.10
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
まだまだ肌には冷たい風だが、時折ほのかな春の匂いがする。冬装束に身をかためる梅、桜、ケヤキ、モミジの小枝も、ぽつりとうぐいす色の小さな芽をのぞかせている。待ち遠しい春の足音が少しづつ聞こえてくる。森羅万象はことごとく自然に忠実だ。機をみて敏に、着々と準備を整えやがて思い(目標)を果たすための不断の努力に余念がない。自然は実に肯定的、積極的、能動的だ。しかもそのあり様は絶妙の一言に尽きる。
自然界のほんの一部である人間界も、また一人ひとりの人生もその成り立ちやあり様には同じことが言える。一事が万事考え方見方が肯定的、積極的、能動的なプラス発想から始まるか、否定的、消極的、受動的なマイナス発想から始まるか大きく違う。「それは分かるけど、しかし・・・。なかなか・・・」と考える人には春は永遠に来ないのだ。それは理屈ではなく、まさしく自然の法則だからだ。自然に反して、基本となる考え方が正しくないと、一時的にはうまくいっても結末はダメになるようになっている。
ここで言う正しい考え方とは、利己、独善、手前みそ、よこしまがあってはならない。あくまでも人の道としてどうか、動機は善か、他人の利や共生が計られているかどうかである。木でいう根や幹の部分の考え方が正しくないと、能力の部分の枝や葉は繁らず、開花も結実もかなわないのだ。これが自然界の掟だ。だから常日頃より考え方や言動について自己点検を怠らないことだ。
プラス発想は自らすすんで仕事をする。おもしろく、楽しみながら、疲れないし、結果が出るから、次から次へアイデアと挑戦意欲が湧いてくる。マイナス発想は自分が不在で、やらされているから結果はみじめで疲れも大きい。この差は悲しいほどに、痛いほどに大きい。
諸君、くれぐれもプラス発想を。
平成八年一月三十一日