思うままに No.167

2009.11.10

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 ムカッ腹が立ってしょうがない。思い出すたびに腹の虫がおさまらない。「酒を飲んでいたのでバレルのが怖くなって逃げた。」「殺すのは誰でもよかった。」「気分がムシャクシャしていたので気晴らしのためにやった。」「償いをすれば文句ないであろうが。」等々、憎き犯罪者どもの共通するもの言いだ。鬼畜にも劣る身勝手な所業、断じて許すことのできない凶悪な事件が後をたたない。
 被害者や家族の方々の心中には筆舌しがたい落胆と憤怒の念で一杯であろう。
 その悲惨な無念の報に接するたびに心がはり裂けんばかりに痛い。いかなる法の裁きが下されようとも永久に被害者の心の傷はいやされるものではない。もし自分が実際にそんな目にあったとしたら許されないことは百も承知だが、加害者にも同じ目にあわせてやりたい衝動にかられるであろう。目には目を、歯には歯をで。
 「罪を憎んで人を憎まず」とは言うが、凡人であるが故に冷静な境地にはとてもなれないであろう。無分別、無法者とそしりを受けようが、そういう極悪人には悪には悪でもって断罪する<必殺仕置人>があってもいいのではないかとさえ内心思うことがある。
 これに鑑み、当社の販売活動を顧みたい。
 我々は多くのお客様に、いろいろな情報や商品、サービスを提供してご得心を頂き、使って頂いて少しでもお役に立つためにある。お客様の都合、状況、立場を何よりも第一に考え、徹頭徹尾、誠をもってあたらなければならない。
 そしてその結果いただく「ありがとう」の言葉には、自分のこと以上に、自分では味わえない無情の喜びを頂けるものだ。
 常にお客様は自分の家族友人だと思い、とことん親身になって接することを肝に銘じておかなければならない。
 <鮎は瀬に棲む、鳥は木に止まる、人は情けの下にすむ>と良寛さんが詠っているように、お客様との間には、安らぐほのぼのした温かい心の通い合いがいま一層求められる。
 わけてもお年寄りや適切な判断のしにくいお客様に対しては特段の心配りをしなくてはならない。売れさえすればいいというような身勝手な過剰販売や無礼な接客は前文の憎き犯罪者どもの悪行と何ら変わりはない。その根っ子のところは同じものだ。
 今一度、我々の拠って立つ商いの原点をよく省りみよう。