001: 強い稲には手をかけない

2009.10.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 明けましておめでとうございます。今年も昨年と同様変わらず宜しくお願いしますとい言いたいところだが、同様変わらずではなく、今年は変わる、変えることを念じて宜しくお願いしますと言いたい。
 稲作りの名人にこんなことを聞いた。
 「強い稲、実りの多い稲を育てるには、初めの段階ではあまり手をかけないことである。肥料もやらない、農薬もかけない、しばらく放っておいて見守る。もう駄目だという限界ギリギリのところまで自力で生きさせる。向こうも我慢、こちらも我慢の我慢くらべだ。それからだ手をかけるのは。その時に悪戦苦闘した稲は、まさに生命の体験を通してほんとうにありがたいという感謝の心が分かるようになるからだ。打てば響くのである。そして初めてお互いに生命の共鳴と共感の思いが通い合う。これが強い稲を育てるコツだ。」
 植えたての、しかも炎天下に、一見枯れたように見える苗は地下で生きるか死ぬかの格闘を通して生命力のたくましい木に育つ。あらゆる生物の生命力とは自分で生きる力を言う。環境が悪くても生きていく力、病気に対する抵抗力、重い荷を背負っても音を上げない持久力、困難に負けない力、危機を打開する力である。
 天は自から助くるものを助く、その基はすべての自助努力なのだ。ここに本ものの自分づくり、人づくりの真理がある。自分の努力、勇気、自信、信念の欠如をたなに上げて、それを見かけだけの、偽りの優しさ温かさ、話の分かる人、太腹などと、もっともらしくふるまう自分にすりかえてはいないのだろうか。そう自問自答する今日この頃である。
 大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり。
 かわいい子には旅をさせよ。

平成八年一月一日