003: 苦労と困難は神の贈り物

2009.11.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 今冬は十数年ぶりに雪の多い年になりそうだ。久々に厳しい寒さに耐えてきた草木はこれからの春本番に向けて、今か今かと武者震いをしていることだろう。そう思ってあちこちの草木にそっと聞いてみたら、案の定それぞれ異口同音に答えが返ってきた。
 「この冬は霜と雪にずい分と痛めつけられ、苦しい思いをしたが、お蔭さまで枝や幹や根はその分だけ、じっと我慢の忍耐力、抵抗力、生命力ができた。今年は例年になく、一杯の芽をふくらませ、花を咲かせ、実を結ばせる自信と勇気と希望が湧いてきた。楽しみにしていて下さい」と。“苦労と困難は人を育む神様からの贈りものだ”植物界同様、人間界も生きる力やたくましさをつくる。そのもとは同じだ。
 さて、昨春入社した新入社員の諸君は今日で丸一年を迎えることになる。そして同時に今春の新入社員の先輩社員となる。世の中には自分と比べてはるかに上の人は無数にいるが、そのこと自体は決して恥ずかしいことではない。大事なことは過去の自分と比べて現在の自分はどうなのか。もしそこに一センチさえも進歩発展がなかったとしたら、これほど情けなく、惨めななことはないし、実に不自然なことだ。もっともこれは一年生社員だけに限らないが。
 そもそもこの大自然、宇宙は無限の過去から無限の未来にわたって絶え間ない生成発展を続けている。まさに生成発展はすべてにとって真理なのだ。人間界に目を向けてみよう。植物界と比べてどうなのか。
 同じ苦しみでも他人のよりも自分の苦しみの方が大きい。自分の釣り損じた魚はいつも大きいが、他人の逃した魚は小さい。自分の思いと違って他人は半分も認めてくれない。苦労をおおげさにして鼻にかける。手柄は自分に、失敗は他人に。私的な利益さえも公的な利益のように言う。泣きごとを言っては軽い荷物をわざと重たそうに担ぐ。部下、同僚にグチ、ウラミ、ツラミを言って同情や憐れみをかおうと。被害者はいつも自分で、正しいのはいつも自分だと。都合の悪いこと、言いにくいことは自分でなくて他人にかこつける。他人に惜しまれるのではなくて、自分で自分を惜しむ。
 こういうさもしい根性はキッパリ追放しよう。そうしないと大きく生きられないばかりか、自分も他人をも腐らす。今年のNHK大河ドラマ「秀吉」がいつになく新鮮で清々しい。そこには人間の限りない知恵と心の豊かさがある。まねをしてみよう。“まなぶ”とは“まねる”から始まるから。

平成八年二月二十八日