思うままに No.287

2019.10.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 「話せば分る」と万能のように物事は解決できるとよく言われるところだが、実際には言うほど事は上手くは運ばない。必ずしも数を重ねればいいとも言えない。却ってこじれて泥沼化することもある。もっとも相手によりけりだが。

 

 国際間の紛争などで文化、歴史、宗教の異なる人たちとの話し合いはなおさらのことだ。これが万能ならば争い事は世の中から消える。いかに口を酸っぱく説いても、意を尽したつもりでも、馬耳東風、糠に釘で埒があかない。話す人の人柄や見識、相手からの信頼や常日頃のおつき合いやコミュニケーションの度合いによっても大きく左右される。

 

 それではどうしたらいいのか、「放っておく」ことだ。これお手上げでも諦めることでもない。時の効用を活かして機をうかがう。焦らず、急がず、性急にならないことだ。せいては事をし損じると言うではないか。間をおき風を入れる。いったん頭を空っぽにしてみる。時は移ろい、そのうちに状況が変わり、自分も相手も要らざる邪念も失せて、心境に変化が起きる。

 

 そうすることによって面白いものでこれまでいだいていた思い込みや溜まっていた執着の膿が出てスッキリする。相手のことよりも何よりも自分にとりつく雑念の断捨離は整理整頓ができて身も心も軽やかになる。新たにリセットができる。

 

 さて<人を見て法を説け>で十人十色、百人百様で人は一様ではない。それには人間観察力を養うことが大事だ。相手の性格や立場、生い立ちや育った環境、それらをよく勘案することだ。いかに双方をつなぎ信頼関係を紡いでいくかだ。言うこととやることが違ってはいけない。

 

 いったん約束したことは何があろうが死守する。そうしないと相手よりも先に自分を損うことを知るべし。不履行ほど人間関係を壊すものはない。社会はありとあらゆるところで無数の約束を果すことで成り立っている。

 

 話(わ)は和(わ)に通ずる。対話は無意識のうちに理解をしてもらえるよう相手の心を和ませようとする意図が働いている。話し上手より聞き上手、聞く力が大事だ。能弁か否かはさして問題ではない。言うを少なく、聞くを多くする。そのために神様は、口は一つ、耳は二つにして人間を創造した。また「話せば分る」より「示せば分る」のほうがよく伝わる。論より証拠、理屈を説くより行動で示す。これに優る説得力はない。

 

 <やって見せて・・・>のお手本になる率先垂範の力は相手もすんなりと得心する。人に頼る前に自分に頼る。自分次第で誰にも容易にできるのが率先垂範だ。