思うままに No.286

2019.09.30

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 毎日毎日どこかで憎むべく事件が起きる。次から次へと後が絶えない。一日たりとも平穏無事な日はない。これ他人事ではなくいつ自分の身のまわりに起きても不思議はない。

 

 そんな中、以前から思っていることでどうにも腑に落ちないことがある。事件が起きるたびになんだかんだと言っては人や社会のせいにし、それに同調するかのような風潮が危ない。その言い様はさもそれを犯す止むを得ない事情があったから仕方がないのだと擁護するかのような偏った声が気になる。

 

 他人事だから言えるのであって、自分が被害者であったならばどうであろうか。加害者の生い立ちや背景、環境に何らかの原因があるのは承知するところだが、あくまでも主因は起した本人だ。犯した者の自己責任をどう始末をつけるのか。そもそも社会のせいにする本人もどうであれ社会の一員ではないのか。

 

 もっともらしい理屈をつけて犯罪者は気の毒な社会の犠牲者だと庇うかのようにとれる言動は悲嘆の涙にくれる被害者に対して配慮を欠くものだ。加えてその心情を深く傷つけるものだ。

 

 犯罪者は法の裁きを受けるが、自己反省せず相も変らず人や社会のせいにする性根が治らない限り、全うな人になるのは極めて難しい。出所すれば性懲りもなくまた再犯をくり返す者が少なくないと聞く。現実には自立更生の道は険しい。そのためには受刑者に対する教育方針や実施のプログラムとその検証是正を図ることが求められる。また出所後の支援も必要だ。

 

 さて昨今の凶悪なあおり運転、いじめ問題、痛ましい児童への虐待事件等々、起きるたびに政治の対応があまりにも鈍くて遅すぎる。いま法の整備や行政の連携と機動的な仕組づくりが急務だ。是正改正が遅れるほど被害者の数は増え続ける。

 

 また日本の法律は人権に関して加害者には甘く、被害者には辛い。おしなべて刑期も短い、量刑も軽い。いちがいに刑を重くすれば事件が減るとは思わないが、少しでも抑止力にはなるのではないか。考えられる、ありとあらゆる手を打つに越したことはない。

 

 古代エジプトのハンムラビ法典の<目には目を、歯には歯を>は犯罪者には被害者と同等の刑を科すという。自己責任の原則から言えば、実に単純明快で分り易く、理にも適っているように思えてくる。

 

 法の裁きは加害者の人権をうんぬんする前に、苦痛に喘ぐ被害者の人権と生命の尊厳をどう考えるのか。その度に被害者や家族の何ともやり切れない、無念の呻き声が聞えてくる。