思うままに No.288

2019.11.30

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 約束破りの常習者は有り難くないウソつき呼ばわりのレッテルを貼られる。仏の顔も三度、しまいには誰からも相手にされなくなる。だから世の親御さんは子供にはそうなって欲しくはないと物心がつく幼少の頃、約束を守ることの大切さを躾ける。<指切りげんまんウソついたら針千本呑ます>のように友達との遊びの中で他愛のない約束を交わせながら社会性やルールの大切さを身に付ける。

 

 さて人は軽々に約束をするが、それを実行するか否かは人間関係を良好にする上では極めて大切な要因になる。反故すれば不信を招きいつかは思いもよらないしっぺ返しを受ける。不履行によって失う信頼を回復するには、その代償として約束を果すのに要する数倍のエネルギーと時間を費やすことになる。不履行は割が合わないのだ。約束の本質は道義にある。お互いに誓い、守ることを信じ合いその証として実行力で示す。人間関係をよりよく円滑に進めるためには約束は大きな意味をもつ。

 

 すべての約束事は実行なくして成り立たない。だから時々思う。誰とも約束事なしで日々を送れたらどんなに気が楽なことかと。果そうが果さまいが、責任は問われることはないし非難も批判も受けなくて済む。ところが世捨て人ならともかく、現実の社会はそうはいかない。人間社会はすべて約束事で成り立っているからだ。子供から大人まで私たちは日々何かにつけて一つや二つの約束事をして過ごす。暗黙の約束を含めて果していくことにより大事な大事な信頼と信用が築かれていく。

 

 また人を計るとき、約束はもっとも有効な物差しになる。その人の程度が如実に現われてこれほど分り易いものはない。この人はつき合っていい人なのか否かは、たとえ口約束でもいいから試しに交わしてみるといい。答えは直ぐ出る。

 

 そこで約束を守るにはどうすればいいのか。要は軽々に約束をしないことだ。安請け合いはどうにも危かしい。果せなかったら相手に迷惑が及ぶ。信頼も失う。それでも約束事を避けては通れないのが日常だ。その上で自分の意にそぐわない点があればノーではなく今度はこちらから相手に納得をしてもらえるべく代替案とその根拠を示すことだ。

 

 合意を得、いったん約束を交わしたら何があろうが死守しなければならない。言い訳は無用、見苦しい。果せなければ信頼、信用はもとより自分の立つ瀬を失くし、自尊心をも失う。約束のもつ恐さと重さがここにある。約束の別名は言行一致だ。言うことと為すことが違えれば度重なれば人は離れていく。