思うままに No.280

2019.03.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 スマホがあちこちを我がもの顔で闊歩している。今や子供から大人までスマホを持たざるものはいないぐらいもの凄い勢いだ。また依存症や中毒症状まで引き起すスマホ病、その感染力もすさまじい。電車内などでは決って異様な光景にあう。皆が申し合わせたようにシーンと静寂の空気が漂う。

 

 おおよそ八割がたはスマホに顔を埋める。専ら自分の世界に浸り、無言の行、せわしく器用に指を動かす作業には様々な表情を見せる。こう言っては何だが、読書をする少数派の人が賢そうに見えてくる。駅の階段の上り下りのとき等、スマホ操作しながらの歩行は順列を乱す。後続がつかえて迷惑なことこの上ない。そんなに緊急なことでもあるのか。横から顔をのぞいてみると揃いも揃ってあほ面だ。何でだと少しは周りのことを考えよ、ちゃんと歩けよと。

 

 この間も車を運転中、信号無視して横断歩道を渡る、スマホ片手の若者を危うく轢きそうになった。幸いにもうまくよけることができた。大事に至らなくてホッと胸をなで下ろしたところだが、同時に腹の底からグワーッとどうしようもない怒りがこみ上げてきた。腹の虫がおさまらず、とっさに窓を開けてどなりつけたところだが、当人はスマホに夢中で当方の罵声が聞こえたのか、聞こえなかったのか何ごともなかったように去っていった。

 

 日々のニュースで自動車、自転車、歩行者のながらスマホが原因で痛ましい事故が絶えない。ここまでくると犯罪か公害か。歩きタバコも罰金を科すご時世だ。ながらスマホにも何らかのペナルティーをとったら少しは減ると思うのだが。

 

 誤解のないように断っておくが、スマホそのものを悪もの扱いにする気は毛頭ない。スマホの進化はとどまることを知らず、日常生活には欠かせない、極めて優れて有用な道具だ。要は使い方が問題だ。それが度をはずれると危険極まりない道具であることを承知しておかないといけない。

 

 この頃は、小中学校で子供たちにスマホを持たせていいか、否かの議論がされている。どちらの言い分にも一理はあるが、様々なことを思案するとやはり持たせるべきではない。便利は益や効をもたらすが一方では仇や罪をつくる。また心を痛めるいじめの誘発や学業にもさし障りが多々懸念されるところだ。

 

 そこでこう思う。運転免許証の取得時と同じように、スマホの購入時には使い方のマナー講習を義務化したらどうか。スマホが引き起す弊害を看過するわけにはいかない。