思うままに No.248
2016.08.01
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
日本語のなかでもっとも美しい、愛すべき言葉のひとつに<ありがとう>がある。その語感といい、語意といいその響きとその訳が心を和ませる。乳幼児には最初に教え覚えさせる大切な言葉のひとつだ。
日々私たちは<ありがとう>の言葉を頻繁に使う。言う、言われるその回数を数えてみると相当な数になるに違いない。小生などはどう考えてみても言われるよりも言うほうが圧倒的に多い。いかに多くの方々から陰に陽に支え助けてもらっていることか。そう思うと改めてほんとうに有り難い幸せなことだなあとふつふつと感謝の念が湧いてくる。この先も言われるよりも言うことのほうが益々増えることであろう。
このことは言い換えれば、お礼を言う分だけ多くの方々から様々な借りを頂いていることになる。そして同時に当然のことながら借りたらいつかはきちんと返さなければならない。その分の利息も加えて。
いつのときもありがとうと言われるのはご褒美をもらうようなもので嬉しいものだ。これがやりがいや生きがいにつながり、人の役に立つ喜びや幸福感を生んでくれる。またお礼の言葉はご馳走に預かるようなものでその味を知ると次から次へと食べたくなる。やはりお礼は言うより言われるほうがずっと気分がいいものだ。
さて、感謝なくして幸福なしで不遜にもやってもらって当り前のさもしい根性では幸せにはなれない。して下さる相手のことを慮ればそのご厚意ご親切に対して心から有り難い気持になると同時に、それに対して少しでも報いなければという思いと行動は人の道として当然のことだ。
<ありがとう>は魔法の言霊だ。雨の日だろうが風の日だろうが、また苦しいときも辛いときも逃げていては何ともならない。それよりも取り敢えず、これもいい経験だと考え、あるがまま素直に受け入れて、心の中でありがとうと一言つぶやいてみると不思議とゆとりができて心が晴れ安らぐ。
病いにあっても身体のほうは不調だから有り難くはないが、そのまま受容して治療に専念するしかない。しかし精神のほうは有り難いことに病んではいないのだからと割り切ってみることも知恵だ。<病いは気から>と言うではないか。
昔、川渡しの船頭の悪ふざけで舟から突き落されるやいなや、また船頭に助けられ命びろいをする良寛和尚に学びたい。ひどい仕打ちにあいながらもその船頭にありがとうとお礼を言ってのけるこの究極のバカ利口に驚嘆する。
そこで思うところだが、国民の祝祭日に心のゆとりとうるおいをもたらす感謝の言葉とその精神を祝し「ありがとうの日」を制定したらどうか。他国には例のないものだ。この言葉のもつ知恵と力がいまや世界語になったおもてなしの言葉のように世界に発信され隅々まで伝播して行けば、様々な争いを少しでも減らすことに貢献できるのではないか。