思うままに No.247

2016.06.30

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 <腹がすわる>という言葉がある。いかなる窮地にあろうが心乱さず平然として構える心の姿勢を言う。日頃より最悪を考え覚悟の備えをしているから何があっても心がぶれない。<腹がすわる>というのは<腹をくくる>からこそできる業だ。心の土台がしっかりとすることにより困難な状況や悪口雑言にも動じず、いちいち腹をたてることもなくなる。すわる腹は難局に対処できるが、たてる腹は事態を悪化させる。

 

 たとえ耳に痛い言葉でも当を得ていると思えば有り難く受容すればいい。的はずれなら抗弁するのもいいし、心の中でバカな奴と一笑に付してもいい。人はいろいろなことを言うものだが、親身になって言って下さる人もいれば後は知らぬ存ぜぬの無責任な人もいる。甘言をうのみにせず、つまらぬ言に振り回されないよう、よくよく人を見なければならない。

 

 それを計る適確な物差しは言葉でなく行動の目盛りに照準を合わせることだ。その人のこれまでしてきた過去の行状をよく知ることで判断の精度が増す。何よりも危険なことは他人のことよりも自分自身の浅い、甘い、軽い判断だ。そして人の我欲や弱味につけこむ利益誘導を図るまことしやかな虚言空言だ。

 

 <群盲像を撫ず>で情報の一部だけをとらえて全部が分かったような錯覚誤認は避けなければならない。早合点は間違いのもとだ。その為にはいろいろな観点からみることだ。心開いていろいろな人の話に心の耳を傾けることだ。3Dプリンターのようにその人の全容が明らかになる。

 

 聴く耳をもつには先ずわざわざ助言して下さる人に有難いという感謝の気持をもつことだ。その上で率直さと器量がいる。正しい情報を得るには常日頃の信用と人脈がいる。そして目利きができるようになるには経験と知識がいる。いずれもそれらに足り得るには自分のことをよく見ながら磨き高め続けることしかない。そうしてこそ自分に相応しい人たちが周りに集まる。類は友をよぶように。また見間違いもおこすがそのことを悔やむより、それがいまの自分の実力だと思うことだ。その上で精進に励むことだ。

 

 世の常で、いい時はどこからともなく餌に群がる蟻のように人は寄ってくるが、いったん悪くなると手のひらを返しさっと潮が引くように去る。不遇をかこつときに寄ってくれる人こそほんとうに信頼のできる大切な人だ。こういう人もまた腹のすわった人たちだ。

 

 人より天を相手にした坂本竜馬のうたに「世のなかの人は何とも言わば言え、わがなすことは我のみ知る」がある。目先に走らず、風評にも動ぜず、天に恥じないよう信念に従って処世することがいかに大事なことか。