089: 経験は人生最良の師

2013.06.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 先頃PHP研究所より『トップが綴る「我が心の支え」なぜ挫けなかったのか、なぜ頑張れたのか』が発刊された。この中に私の執筆したテーマ「負けてたまるか只今修行中」が掲載されていますので案内します。
 人生は山あり谷ありで、よくも様々なことが次から次へと起きてくるものだ。「人間万事塞翁が馬」で禍福はあざなえる縄のように変転して定まることがない。だから事あるたびに、いちいち一喜一憂していたのでは結局自分を見失ってしまう。常に自分の拠って立つ足下をしっかり固め、目は遠くを望んでいなければならない。ことに臨むときは「何をする」の前に「何のために」という目的や原点を深く肚に落としておかないから、徒らに右往左往し取り乱すことになる。
 いまやむを得ず不遇にあるが、何があろうとも志だけは高くもち続け牛歩でもいい、一歩一歩と前進の努力を重ねることだ。決して焦ることはないのだ。心配のしだめと飯の食いだめは百害あって一利なしだ。先々の余計なことを推量する暇があるなら、ひとつでも今出来ることに最善を尽くすことだ。
 もともと人間は経験するために生まれてきた。経験は人生の最良の師だ。とりわけ艱難辛苦にあるときは、「まだまだ」只今修行中だと思うことだ。後になってその貴重な経験は間違いなくボディーブローとなって効いてくる。
 周りを見渡せば出来の悪い奴に限って大してしていない苦労を大袈裟にして鼻にかけるものだ。泣きごと恨みごとや、はじめから実力もないくせに「落ちこむ」というようなことを恥ずかしげもなく口癖のようにして言うものだ。こういう連中はいっそのことどん底へでも突き落としてやったほうが早く目が醒めていいかもしれない。宙ぶらりんの中途半端だからいつまでたっても駄目なのだ。一度折れた骨はかえって前より丈夫になると言うではないか。
 人生の主役はあくまでも自分だ。忌ま忌ましい憎き敵役は主役の自分を引き立ててくれる、必要不可欠にして大事な脇役なのだ。ただし、主役になるには何よりも自助自立の精神が肝要だ。自分が自分に頼まなくて誰に自分を頼もうと言うのか、自分が自分を信じなくて誰が自分を信じてくれるというのか。世の中はお互いに支えられて、生かされ生きているが、主体的に生きてこそよく生かされるのだ。願わくは平坦な道は避けて、進んで坂道を選べ、できる限り重い荷物を背負って。そうして初めて生き抜く逞しさとほんとうの優しさが養われていくのだ。
 朝のこない夜はない、春のこない冬はない、あなたのいない明日はない。

平成十五年八月三十一日