思うままに No.291

2020.02.29

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 地球環境は温暖化、人間関係は寒冷化。これに起因する痛ましい天災と人災。変化進化し続けるデジタル化は社会に大きな恩恵をもたらす一方で、人間関係(義理と人情)を希薄化、無味乾燥化にする。未来社会にあってデジタルの進展はますますアナログのもつ価値を格段に高めていく。

 

 心の通い合いや言葉使い、気遣いが一層重要になる。よく起きるパワハラ、モラハラ、セクハラなどのハラスメントはギスギスする人間関係からか、大げさに過敏になることもあるのではないか。日頃の信頼関係ができていたらそうそう深刻な事態には至らない。大抵は笑って済ませられるものだ。

 

 「そんなつもりで言ったのではない」、「何んでそこまでされなければならないのか」というように、する方も無神経、無配慮なら、される方も謙虚に受容する姿勢がかけるところもあるのではないか。

 

 とりわけ叱り下手、叱られ下手も気になるところだ。真意を伝えるべきところを未熟が故に感情に走り、不本意にも反感、不信を買ってしまう。人間は最たる感情の動物だ。その本質は理屈を超えて、アナログなのだ。

 

 この頃叱らない親が少なくないと聞く。躾の方針がないのか、教える自信がないのか、はたまた諦めで子に迎合してしまうのか。社会に出れば荒海にして多種多様な人たちがいる。家庭内では経験したことのない厳しい物言いや振る舞いにあうこともあろう。そこへもってきて、さして叱られたこともなく、甘やかされてきたが故に、辛苦に対する耐性ができていないから、過剰に反応して戸惑いや悩みを深くする。人は成長過程で揉まれながら生き抜く逞しさ、人の痛みが分かる優しさ、相手を慮る気配りを身につけていく。

 

 ところで手軽なSNSはしばし仮面と虚構の世界をつくり出す。甘言、巧言を弄して騙しが横行する。どこの誰だか顔も分らない、危険な罠が仕掛けられているかと思うと不気味だ。使用制限もない代りに不利益、被害を受けたときは自己責任だ。文明の利器は即、悪の凶器と化する。

 

 自動車でさえ試験に合格してはじめて免許証がもてる。それに比べてSNSはあらゆる空間を自由自在に飛び交う。これを悪用しようと犯罪を企む者には格好の道具だ。誘拐、暴行、殺害等々悲惨な事件は後を絶たない。

 

 とりわけ未熟で判断力の乏しい子供たちにはこれほど危険極まりないものはない。いつ我が子が犠牲者になるとも限らない。いちいちスマホのチェックも不可能だ。

 

 SNSのリスクを考えると、学校の授業の中でとりあげて欲しいものだ。法の整備、規制の強化、機器の改良、広く社会の連携と新たな仕組の構築が急がれる。