思うままに No.282
2019.05.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
人を育てるというのは簡単なことではないが、その立場にある人には、大事な使命のひとつだ。それを果すためになすべきことは向上心をもって先ず自らが自らを育てんとする意志と勉励が求められる。
人を育てる基本は言うまでもなく相互の信頼が要る。その上で褒める叱るの二つの言葉が有効に働く。褒める叱るは反対語ではない。二つの言葉にはそのもつ意味が相互に含まれている。褒めの中に叱りがあり、叱りのなかに褒めがある。二つの言葉は同意語のようなものだ。いま、自分の来し方を振り返るに褒められたことよりも叱られたことのほうがはるかによく覚えている。
褒められることは気分のよいことに違いはないが、場合によってはかえって気色の悪いこともある。褒め殺しや、見え見えのお世辞など。タイミングとポイントがずれると逆効果になる。きつい叱りほど骨身にしみる。その時は浅はかにもこんちくしょうと敵愾心さえもつこともあったがいま思えば愚かで恥ずかしい限りだ。このこんちくしょうを人に向けているようではダメで、自分に向けなければならない。あの時あの人の叱責があったからこそ、今の自分があると改めて有り難く思うところだ。
褒めるは甘言、叱るは苦言。甘言には首を傾け、苦言には耳を傾けることだ。叱ってくれる人こそ大切な人だ。誰が好き好んで叱ってくれるか。少しは叱ってくれる人の気持をくめるぐらいの率直さをもてるといい。褒めに褒められて育った人はどことなく温室育ち風でちょっとしたことで萎える。一方風雪のごとく厳しさの中で叱られながら育てられた人は強く逞しい。だからこそ人の辛さや痛みが自分のことのように分る。そのもつ優しさは本物だ。優しさと甘さは全く違う。
イソップ物語に太陽と北風のどちらが旅人の着るマントを脱がせることができるかを競い合い、太陽の勝ちとなる。ところが時と場合によっては北風が勝つこともある。要は太陽と北風、優しさと厳しさの両方を混ぜ合わせながら上手く使い分けることが効果的だ。
<人を見て法を説け>で人は十人十色、十通りの説き方がある。人前で叱って効果がある人、陰で叱ったほうがいい人、ストレートに言ったほうがいい人、柔らかく包みこむように諭したほうがいい人等々。思いを込め、タイミングを見計らい、適切な言葉を選ぶ。そうして共に泣き、共に笑える共感の関係ができたらベストだ。叱られ下手はだんだんと相手にされなくなり、しまいには無視される。叱られ上手は率直で前向きにとらえるから、多くの人から気にかけてもらえる。そうして頂く有り難い助言、苦言をものにして、ますます立派に育って行く。