思うままに No.275
2018.10.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
会話は精神と頭脳が織りなす知性と感性の相互作業で、人間の特性をもっともよく表わす活動のひとつだ。もし会話を厳禁にしたら人は幾日耐えられるだろうか。たいへんな難行苦行になることであろう。会話は相互理解を深めるには優れて有用だ。文章も同様であるが、様々な言語を自由自在に駆使して、双方向でコミュニケーションを図れるのは生き物のなかでは唯一人間だけだ。
多種多様の豊富な言葉はたいそう便利だが、使い方次第によっては諸刃の剣になる。ひとつの言葉で励まされ、救われる一方で、言葉によっては受ける傷は刃よりもひどく痛く感じることがある。言葉は人なりで自ずと人柄がでる。手軽に無料で使えるが話によっては人、時、場をよく弁えて使わないと本意ではないことが誤って伝わってしまう。
肝心な話しは要領を得て要点を整理し、短いほうが伝わり易い。加えるに相手の真意をくみとるべく聞く力を磨いて行けば、察する力も養われ、コミュニケーション能力を高めることができる。
さて日常よく使われる言葉に「話せば分る」がある。よく話せば折り合いがつくのにと、事あるごとに外野のほうから批判の声があがる。「話せば分る」を万能のようにして言うが、なかなかそうはいかないものだ。いくら時間をかけて話し合いの場をもってしても何とも埒があかない。そこが当事者の悩ましくもやるせないところだ。
折り合いをつけるには腹を割って話し合えるかどうかだ。相手の胸襟を開くには手前みそや腹蔵があっては通じない。すぐ見抜かれる。人は話の内容そのもの以上に信頼できる人か否かその魂胆を見極めようとする。不都合が起きたときほど、日頃の信頼関係がものを言う。その証しは普段の姿勢や言動にある。その上で一にも二にも誠意をもって臨むことが賢明だ。誠実に勝る知恵はなしだ。
一方で以心伝心のように言わずとも聞かずともお互いにツーカーで通じる究極のコミュニケーションがある。「言わなくても分る」はとりもなおさず「聞かなくても分る」でまさに阿吽の呼吸だ。そもそも信頼は楽境のときより苦境のときのほうが強固につくられる。辛苦を共にするときが深いきずなをつくれる。戦いにあって、生死を共にする戦友はその最たるものだ。
また同じ言葉を使っても言う人によって受けとられ方は違う。聞く人は誰が言ったのか、言う人をみて判断することもある。言葉は生れも育ちも違う。自分とは同じではない人と人、心と心をつなげる無双のコミュニケーションの道具だ。あくまでも信頼をもとに使い方次第で生きも死にもする。