思うままに No.276

2018.11.30

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 <無用の用>という言葉がある。世の中で無用とされている物も活用の仕方によっては大いに役立つもので無駄なものはない。また一見したところ用途のないものが実際は人間の知見を超えた働きがあるという意味だ。

 

 このことは物に限らず人にもあてはまる。人は何かしらの役割をもってこの世に生を受けた。日常で交わす約束やそれぞれが担う役割を果すことによって万事は円滑に運ばれる。そこに互助と信頼のきずながつくられていく。

 

 さて青森県に恐山菩提寺という有名な供養のお寺がある。亡くなった人の氏名と命日、そして故人に一言、自分の念いを石に書いて境内に奉じ祈願するというものだ。連日全国から大勢の人でにぎわう。

 

 寺の人言わく、「この一言メッセージでもっとも多く書かれるのは何でしょうか」と皆さんに尋ねると、大抵は『ありがとうでしょう』と答えるそうだ。ところがさにあらずで一番多いのは「またあなたに会いたい」で「ありがとう」は二番目だそうだ。

 

 ありがとうの言葉は言う人にとっても言われる人にとっても双方が嬉しい気分になるのもだが、周りの人やお客様から「またあなたに会いたい」「あなたと一緒に仕事がしたい」「今度はいつ会えますか」等と言ってもらえるようになるとしたら、これに勝る至福はない。と同時にもっと人から愛され親しまれるよう向上心をもってますます自分を磨き高めていきたいと思いも強くなる。

 

 さらに続く「ご遺族に頼まれて日々たくさんのご祈祷を勤めるのが私の役割ですがその中で心底きついと思うのが幼くして亡くした子供さんのご祈祷です」と。「ほとんどの親御さんが口を揃えておっしゃるのは『この子が生きているうちに親として何もさせてやれなかったことを悔やんでいます』と涙ながらにお話しを聞くのが辛い」と。

 

 そういうときにはこのように話をさせてもらいます。「でも違うんですよ。赤子は何もできなかったということはないのですよ。赤子は生まれた瞬間に立派な役割を果していますよ。だってそうでしょう夫婦のあなた方を一人の子の親にしたのですから。」と。

 

 人は一生いろいろ託された役割をもって世に人に役立とうとする。喜怒哀楽の寄せては返す波に揉まれながらも、くじけず負けず生きがいをもって頑張ることに人生の意義を見出す。

 

 上司と部下、お客様と企業、親と子、先生と生徒といった様々な関わりの中で良き関係を築くにはきちっと約束、役割を果すべく意思と行動の力は欠かせない。至極当り前のことだが、約束、役割を全うしていくことが信頼と信用、生きがい、希望と勇気の力、カベを乗り越える力、個と組織の和と力をつくっていく。