思うままに No.269
2018.04.30
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
健康寿命が延びていよいよ人生100年の時代の到来だ。ますます高まる健康志向や予防医学、医療の進歩によるところが大きい。この頃の60歳は昔の40歳で元気ハツラツ、実に若々しい。齢を重ねていくたびに若い時以上に生きがいややりがいをもつことが人生をおくる上でいかに大切なことかと考えている。それ故にさらにコクのある人生にできる。生きがいもやりがいも人に言われてもつものでもないし、人に代ってやってもらうものでもない。
自ら希望し自主的にもつものだが、どういう訳か、もてない理由に環境や条件が合わない、整わないからとへ理屈をこねたり、人から与えられるものだと勘違いも甚だしい輩もいる。それも年配者よりも若者に多いような気がする。心配なことだ。人生これから先が長いというのに、さして夢もなければ目標もなく、なんとなく無為な日々をやり過ごす。覇気がなく受身で依存心が強い。また感謝の気持も薄いようだ。生きがいの意味ぐらいは知っているのだろうが、それをもてないのは周りのせいだ、社会が悪いからだと他のせいにしたがる、もったいない人生をおくる。
ついでのことだが、日々おぞましい事件が後を絶たないが、犯罪者は共通して職にも就かず、身勝手で依存心が心の内に巣くっているのではないかと思う。他のせいにすることは許されるものではない。何だろうがかんだろうが犯した張本人が悪なのだ。にもかかわらず非道な事件が起きたのは少なからず社会の責任などと心ないご託を並べ、またそれに迎合するような風潮が危うい。また罪を償うにおしなべて加害者に甘く被害者のことを思うと胸が痛む。
さて人生には生きがいはまさに生きていく命の証だ。それがないと萎える。実りある人生にするためには、生きがいとは即ち目標、希望をもつことだ。そこに日々の充実感を得ると共に、何よりもその向こうに喜んでくれる人の顔を見ることができる。
加えて生きがいは自分のことよりもむしろ他に対してのほうが熱意も大きくなる。自分のことだと、まあいいかと途中で投げ出したり、手を抜いたりしがちだが他のためにということになるといっそう思いの力も強まる。大抵の人は日頃より何か生きがいはないかと探し求めるが、その一方できることなら苦労をしたくない、平穏無事で過ごしたいと考える。
そもそも生きがいはそれ相当の苦労をしてカベを乗り越えていくときに実感する。ところがだ、いざカベに突き当ると、いとも簡単に意趣返して逃げ出す輩に限ってどこかに手軽な生きがいはないものかとあてのない、ないもの探しをするところが滑稽で哀れに映る。