思うままに No.254

2017.01.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 若乃花以来、19年ぶりに日本人として稀勢の里関の第72代の横綱が誕生した。小生はもとよりスポーツに限らず日本人びいきというより栄光を勝ち取った者には国籍のいかんに拘らず心より賞賛を惜しむものではない。ただ今回は国技の角界に長らく日本人横綱が不在であったことにいささか寂しい思いをしていただけに率直に言って嬉しい。近ごろは学生出身の力士が増えているなか、中卒からのたたきあげが頂点に上りつめたことは大の相撲ファンの一人としてことのほか喜ばしい。

 

 田子ノ浦部屋は数々の部屋のなかでも相撲道に徹し稽古も最も厳しいと聞く。亡き横綱隆の里の鳴戸親方の指導のもと徹底徹尾、力士としての礼儀作法、心構えをたたきこまれた。

 

 「勝っても負けても表情をかえるな。相撲の美しさは勝っても負けても正々堂々の潔さにある」、「勝っておごりたかぶるな敗者に敬意を払え」と。稀勢の里関が小学生のとき作文にこう書いた。「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」と。

 

 じっと遠くから見守ってきた父親の談話に「これまで息子は相撲をやめたいと言ってきたことは一度たりともなかった。愚痴、弱音を吐くどころか、いつも僕は角界に入ってよかった。お父さん有難うと常々言っていた」と。念願の初優勝を決めたとき「我慢してきてよかった。腐らなくてよかった。あきらめずにやり続けてきてよかった」と。

 

 黙々と愚直にぶれない信念、変にパフォーマンスに走ることもなく仏頂面が彼らしい思いからくるところだ。立ち合いは一切逃げず正道にこだわっての真向勝負、目先の星取りに惑わされず全力を尽すその姿に相撲のだいごみを魅せてくれる。そこに感動を呼び起すほんとうの美と力が凝縮される。ファンは勝敗のみならず力士の振る舞いを観ている。土俵に上がるとき、塩のとり方まき方、仕切り、勝負の後の態度、懸賞金の受け取り方、等々力士の一挙手一投足の全力に全てにわたるものが相撲なのだ。

 

 彼にとってこれがゴールではなく、新たなスタート台に立った。横綱として強さが求められるがそれ以上に品格が大事だ。相撲道の精神、礼儀作法を重んじて力士の範となり角界を引っぱっていって欲しい。その栄えある横綱だ。またこれまでのようにケガの少ない力士として、精進して、愚直に稽古を積み重ねていって欲しい。もうひとつ腰高と脇の甘さを克服して欲しい。

 

 昇進まで長く時間がかかったということは、その分心技体の力を十分に貯えてきたということだ。この貯金を活かせればもっと高みへと上りつめていくことだろう。

 

 努力は人間のもつ諸々の能力のうちで最も価値のある高い能力だ。この能力はもって生れたものではない。あきらめずやり続けて身につく。努力こそ本物の実力だ。