思うままに No.252

2016.11.30

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 

 はや12月、師走に入った。どうやら時計の針は忙しさに比例して進む速度が加速する。また齢を重ねる度に速まる。

 

 時間は誰にでも平等に与えられるが、その使い方は千差万別不平等だ。時間は残念ながら一秒たりとも生産できないが工夫次第で増産できる。

 

 さて日常のことよくもよくもいまわしい事件が起きるものだ。その度に何でだと怒り心頭、切ない気持ちになる。いつも思う、そうなるまでに一体全体周りの人は何をやっていたのかと。ほとんどのことは気を付けていれば防げたのではないかと。

 

 犯罪者も皆同じように生まれたときは天使のような赤ちゃんだったはずだ。生を受けるというのは天文学的な奇跡と言っていい。人は間違うことなく神より厳選されて生まれてきたのだ。さらに世界70億人の内の唯一の一人だ。誕生したとき、親は愛しい初々しい赤ちゃんに元気ですくすく丈夫でいい人いい人生を歩んで欲しいと心底より願ったに違いない。そんな深い愛情と期待に抱かれて、祈るようにして慈しみ育てられてきた。

 

 ところが成長発達していくなかでどこでどう間違ったのか、一転して天使が悪魔に変身する。人を傷つけ殺める犯罪者へと落伍していく。何と不条理、理不尽なことか。

 

 諸々の事件でとりわけ青少年の犯罪ほど胸が痛むものはない。世の宝が何故に悲惨な事件を起こしてしまうのか、やるせなく悔まれて仕方がない。どれもこれも社会や環境のせいと十把一絡げでかたづけられてしまうが、家庭、地域、学校の社会をつくっているのは一人ひとりの大人たちではないか。他人事ではなく自分事として果す責務と役割を自覚し、深い関心と関与をもって大事に至る前に小さな芽を摘んでいく実践しかない。

 

 いま小生も母校亀崎中学校同窓会の会長を仰せつかっている立場から、年々増え続けるいじめの問題について、入学式・卒業式・学校祭などの行事を通して努めてくり返し話をさせて頂くところだ。

 

 先生や父兄には「取り越し苦労をせよ。子供たちの日常を注意深く観よ。」と。

 

 一方生徒たちには「いじめは絶対にやってはいけない。いかなる理由があろうともそれを正当化はできない。」、「いじめる奴は心が弱いのだから哀れな奴情けない奴と思え。だからそんな愚かな奴に振りまわされることはない。反対に同情してやれ。」と。「もしいじめにあったら誰でもいい直ぐに相談せよ。決して自分だけでかかえこむな。」、「いじめを見て見ぬふりをする奴は卑怯な奴だ。いじめる奴よりももっと悪い。」、「常に考えよ、自分の言動が相手にどう思われるのか、相手の身になってみよ。」と。

 

 機会あるごとにこんなことを口酸く言い続けていくことが、いま小生にできる役目ではないかと思っている。