思うままに No.251

2016.10.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 おおよそ人の正体が現われるのは好調、順境にあることよりもむしろ不調、逆境におかれたときだ。悪い状況のときにこそほんとうの人となりが見える。とりわけ物、金の利害がからむときほど如実に現われる。

 

 <貧すれば鈍する>と言われるように、貧すると偉そうなことを言っていた人でも愚かになる。大義なく物金に執着する余り、善悪の判断を誤り道義の意識も鈍ってついには悪事を働くようになる。そして身も心も腐っていくと同時に我欲から罪のない人までも巻き込んで害を及ぼす。

 

 <貧にして楽しむ>のように貧にあっても信義を踏み、人に迷惑をかけず楽しんで生活をするような心境には凡人はなかなかなれないものだ。身近かな日常においてもっとも人の正体が現れるのは勝ったときよりも負けたときに、出会いのときよりも別れのときだ。負けたときには一切恨み言泣き言を言わず、言い訳もせずサバサバといさぎよい振舞いには好感がもたれるし、次の期待ももたれる。内心は悔しくて仕方がないところだが。そしていさぎよさは捲土重来を期しての決意を固め何よりも自分に対しての励ましになる。

 

 また出会いのときは多くは好印象をもってもらえるよう愛想を振りまき見栄えよく、パフォーマンスをして飾り立てるものだが、実のところは別れのときにこそいっそう心を砕くことだ。

 

 <旅の恥はかきすて>のように今後再び会うこともなかろうと高をくくって礼を失しぞんざいな振舞いになりがちだ。別れは会うの始まりなのだ。世間は狭い。いつか、どこかで誰かと直接間接に関わりつながっているのだ。人間の関係は点で考えてはいけない。縦横斜めに線、面、立方体へと自分の与り知らないところで人脈はつながっていることを承知しておくことだ。

 

 その場かぎり後は知ったことではないと人の道をはずれればいつかは手痛いしっぺ返しを喰う。ときにはやむを得ず、人様から金を借りようとするときなどはいつになく物腰やわらかく丁寧に趣旨説明をするものだが、いったん断わられた際には、さっきまでの低姿勢はどこへ行ったのやら手のひらを返すように態度が急変する人がいる。

 

 また無念そうに落胆するがひととおりお礼を言って接する人そのあり様はいろいろだ。その際に相談、頼みを受ける側も親身になって耳を傾け、最善の解決策を一緒になって考えたところだ。熟慮の末申し出はお断りしたものの、月日が経つにつれその後は彼はどうしているのかと内心は気がかりで仕方がない。心ある人ならば例え結果が自分の意に反したとしても親身に相談にのってくれたことに礼儀として状況報告をするべきように思う。

 

 いずれにしても頼み事は結果がどうであれ、その後始末のあり様いかんで人の真価は決まる。