思うままに No.237
2015.08.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
人からズバリ的を得たことを言われると無性に腹が立つことがある。
それは言った人に対してではなく、気づかなかった自分に対してだ。言われてから後でしまったと内心は悔む。言いにくいことを敢えて言って下さる相手の胸中を推し量ると気にかけて下さることを有り難く思う。
言われた当人は仰せの通りだと素直に受容すると同時に、次には言われないように気を付けようと思う。
結果は同じにせよ、言われる前に自らやるのと人に言われてからやるのとではその価値に雲泥の差がある。
誰しも思うところだが、おおよそ人は自分の思うように気づいてもくれないし動いてもくれない。人は決して自分と同じではない。置かれた状況や立場も違うし性格も思いも異なる。このことを当たり前のこととして念頭においておくことだ。
自分のことに限ってさえも、心中ではあれこれと言う自分がいてままにならない。ましてや他人はなおさらのことだ。だからといってその差異を埋めるのに、はなからダメだとかむつかしいと決めつけたら何の解決の糸口も見つからない。肝腎なことは自ら胸襟を開いていかによく理解してもらえるかあれこれ試行錯誤を重ねながら辛抱強くやるしかない。
それではいかようにしたら人は理解し動いてくれるのか。その際に一度相手の立場になって能う限りの相手の思い(心配、希望)を推し量ってみたらどうか。そこから相手の心のドアーを開くことが可能になる。
人を動かすにはテコの原理が有用だ。その人に適うテコは何かを探し出すことから始まる。間違っても地位を乱用しての脅しやすかしは決して相手の得心は得られない。自分がその立場にあったら分かることだ。ひっきょう恨みを買い終いにはいつかどこかで仇をとられる。テコとは理や情のことをさす。
人は自分の担う使命役割を胸に刻み、その上で得心してはじめて自発的な行動に移れるし、また他者との協働することの意義が分る。
さて小生は生来熱血漢溢れるリーダーが大好きだ。上に立つ人にはこの姿勢、資質は極めて重要な要素だと思っている。
問題は熱血指導の裏にはタイムリーなフォローに意をおくことだ。そうしないと単なる強圧強迫としかとられかねない。是は是、非は非の毅然とした態度に加えてその人にさらによくなってもらいたいというほとばしる念いが相まってこそ通じ合う。ここに上に立つ人が味わえる楽しみや面白みがある。
その為には日頃の<気にかける>・<声をかける>・<耳をかたむける>の三つのコミュニケーションだ。例えば「私のことを心配してくれる」「プラス言葉で励ましてくれる」「親身になって相談にのってくれる」「厳しいことを言うがいつも温く見守ってくれる」等々ではなかろうか。