思うままに No.225

2014.08.31

エッセー「思うままに」

 

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 果たしてこんなことしていていいのかなぁと日常の何かにつけて疑問をはさむこともなく、見直すこともなく、また感謝することもなく我々はあって当たり前の中にどっぷりと浸っている。時にはなくて当たり前があることを考えてみるといい。

 世の移り変わりにはこれまで当たり前だと思っていたことが必然的に当たり前ではなくなってくることが至る所で多々起きる。そうしていまは当たり前でないと思われることが時を経てやがては当たり前へと定着していく。

 この当り前はスクラップ・アンド・ビルドをくり返しながら絶えず変化進化をする。このことが正に内外の変化への対応であり、また自律する能動的な変化が創造力をつくる。

 おおよそ人は習性より変化を嫌う。当たり前の中にいると居心地はいいが茹でガエルのように終いには命取りになる。また社会の変化により必然的に当り前は変わっていくものだが変えなければならないことと変えてはならないことがある。前者が惰性や慣例であり後者が倫理や道徳だ。

 自分にとっては当り前が他人にとっては当り前とは限らない。志向や見識により一様ではない。個別最適は全体最適にはならない。

 ところで当たり前が当たり前になるには当たり前でない働きがあるからだ。陰に陽に何かの誰かの力により物事が創られ運ばれて当たり前が成りたつ。よくある話に、当たり前であったことが何かの状況変化で当たり前でなくなると将来や大局を見ずして、情緒的な固執から冷静を欠き右往左往して不安・不幸・不満をつのらせる。その結果変化への適応が不可となる。

 物事は永時にわたって当り前が続くことはあり得ない。むしろ時代社会のニーズに即して変化するのが世の常だ。経営や技術、人材や商品等の革新開発はみな然りだ。顧みれば会社は自然に興り現在があるのではない。

 既存のお客様は最初からお客様ではなかったはずだ。既存の人も商品も仕組みも何ひとつ最初からあった訳ではない。すべて無から有にする思いと働きが相まって当たり前のように現在がある。お客様に時間をつくって頂き、会話をさせてもらえること、商品を購入してもらえることは簡単なことではない。

 また苦言助言を得ること、職場の皆さん、家族、取組先、地域の支援、衣食住や健康な生活のこと等々、何ひとつとしてあって当たり前のことなどない。言うまでもなくそこには多くの支えと助けがあるからだ。

 あって当たり前に安住することは退化につながる。あって当たり前から離れて、なくて当たり前の意識がこれまで考えてもみなかった新しい価値を創造していく。先ずは当たり前の中にあることに感謝し、次に当たり前でないことに敢えて身をおき視点を変え広げることが進歩発展を促す。