思うままに No.224

2014.07.31

エッセー「思うままに」

 

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 私たちは日常の諸々のことについて気づくことよりも気づかないことのほうがはるかに多いように思う。気づかないままに人に言われて冷や汗をかいたり恥ずかしい思いをすることも少なくない。

 もっとも怖いのは気づかないままに過ぎることだ。だから折に触れての人からの一言は金言になる。そもそも人は自己中心的だ。それ故に普段よりよほど気をつけていないといらぬ相手の感情を害したり礼を欠くこともしばしである。

 気づきは知性というより感性の問題だ。感性を磨き高めるには相手のことに関心をもち状況をよく観る眼を養うことから始まる。気づきは気くばり、おもてなしへとつながる。これらは深い思い入れを要する高感度の精神の創造活動であり、上等なコミュニケーションだ。気くばりのよくできる人は裏返してみれば人に対して自分にもこうして欲しいと思うからこそできるわざだ。

 気づかいをされて怒る人はめったにいない。ただし浅慮からこれみよがしになったり度をこすと逆効果になる。最上級は相手に気づかれないようにするさりげない気づかいだ。ここに至ると後々になってその気くばりの有り難さがふつふつと沸いてくる。

 無類の温泉好きな小生は宿に到着すると先ず従業員さんのあいさつ振る舞いに強い関心をもつ。これで宿の程度が分かる。いい宿にはきまっていい仲居さんがいる。お客さんのかゆいところは何かを常に考えて、タイミングよく適確に接遇を行き届かせる。そこには最初で最期かもしれないお客さんに対する一期一会の心がいやがおうでも伝わってくる。言われてからやってもらうのと言われる前にやってくれるのとでは受けるほうにとってはその価値に天と地の差があることを十分に承知していることが分かる。

 設備、料理、風呂も重要な一つではあるが、何よりもお客さんを魅了するものはくつろぎややすらぎの雰囲気づくりに専心する接客いかんに尽きる。気づかいはサービス業の命だ。形の見える物のサービス以上に見えない心のサービスほど人の心を動かすものはない。

 過日のFIFAワールドカップでは残念ながら日本チームは一勝もできず敗退した。世界のカベの厚さを痛感した。謙虚にこれが実力だと思う。しかし一方では日本のサポーターの超一流のマナーはあらためて世界の人に日本人の心を魅せてくれた。スポーツマンシップに劣らぬサポーターシップには日本人として大いに誇らしく思う。

 勝敗ばかりに目を奪われがちだが、世界を感服させた彼らの行動には何が大事か大きな気づきをもらった。マスメディアもこの素晴らしさをもっと大々的に伝え知らしめる使命があるとしきりに思う。