思うままに No.223
2014.06.30
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
キューンと胸が締めつけられるようないい話を聞いた。
ある所に生まれながらにして知的障害を持つ女の子がいました。幼稚園は近所の子供たちと一緒に通っていましたが小学校にあがるようになるとちょくちょく休むようになり、とうとう一年生が終わる頃には全く学校に行かなくなりました。二年生になっても三年生になってもその子は学校に行こうとしませんでした。
そして四年生にあがる頃、その子の父親と母親とで話し合って中学校にあがるまで養護学校に預けることになりました。養護学校には寮みたいなものがあって家から通うことはできません。四年生で入ったその子は一年生の学習から始めなければなりませんでした。専門の先生がついて一対一で主要教科を一年生の問題から丁寧に教えていきました。
その日習ったことを毎日毎日その子は遠く離れた母親に電話で報告することが日課でした。漢字を覚えるようになると少し難しい本も読めるようになりました。ほんの少しづつですが一年間でその子は沢山のことを学び覚えていきました。
その子をずっと教えてきた先生がある日算数を教えようとしたときのことです。その問題はお金を例にあげた問題でした。「ここに五百円玉、百円玉、十円玉」の三つのお金があります。どのお金が一番大きなお金ですか」とその子に質問しました。するとその子は「十円玉」と答えるのだそうです。
先生は「一番大きなお金は五百円玉なのよ」と教えますが何度質問してもやはりその子は「十円玉」と答えます。何度も教えても決まってその答えは十円玉だったので先生は「五百円玉と百円玉と十円玉では五百円玉が沢山ものが買えるのよ。」だから一番大きいのは五百円玉でしょ」と言うのですが、その子はどうしても違う、「十円玉」だと言い張るので、先生は「それじゃあ十円玉の方が大きい理由を言ってごらん」と尋ねました。
するとその子は「十円玉は電話ができるお金、お母さんの声が聞こえるのよ」と答えるのだそうです。
人にとってものの価値は一様ではないし比べるものでもない。ましてや大小や多寡で計られるものでもない。たとえ小さくても少なくてもその人にとっては大切なものがある。遠くに離れて暮らすお母さんを想いその一言を聞きたい一心から女の子にとっては十円玉は何よりも価値のあるコインではなかったのか。小さな手で受話器をにぎりしめて話す女の子の嬉しくて仕方がないその姿がありありと目に浮ぶ。