思うままに No.216

2013.11.30

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 誰もがほぼ奇跡とも言うべき確立で選び抜かれてこの世に生を享ける。そうして生きている間は大なり小なり何らかの目標に向かって絶えまのない挑戦の日々を過ごす。このことはつまるところ常に自分との闘いにつくことを意味する。

 目標はあくまでも目的(幸福、健康、平和等)の実現のためのひとつの経過点だ。諸々の経過点を乗り越えその積み重ねによって目的の実現に一歩一歩と近づいていく。

 目標をもてばこそ人は頑張れるしまた進化成長も図れる。反対にもたなければ当然のごとくやる気などは出るはずもなく、その結果無為な日々を徒に過ごす羽目になる。そうして一度しかない大事な人生を萎えさせてしまう。目標への挑戦はやりがい生きがいを創出する打ち出の小槌だ。挑戦する姿は逞しくも美しい。いつのときも周りの人を魅了して止まない。

 さて目標を達成するためには三つの定石がある。その一つはやり遂げたあとの嬉しい自分の姿をありありと脳裡のスクリーンに映し出してみる。その二つはおおかた段取り如何で決まる故に具体的で能動的であること。その三つは何があろうが最後まであきらめずやり抜く意地と意志だ。通常物事は判を押したように計画通りには行かないものだ。だからこそ流されず、放置せず、人頼みにせず、はずした軌道を元に戻すためにしっかりと原因の検証と機敏な修正を要する。

 対応は遅れるほどますます困難度を増すものだ。たとい予算の99.9%が出来たからといってそれは達成とはいわない。及ばなかったその0.1%の差異は大きい。達成とは100%以上のことを表す。途中で投げ出したり、安易な妥協は許されない。そもそも決めた予算は完遂することが組織と各々との約束ではなかったのか。「厳しい状況だから未達は仕方がない、それでもまあまあ他と比べるとよくやった」と励ましにもならない言動は後ろ向きと甘えを助長するだけで伸びる芽を自ずと摘むことになる。もしそのようなことを軽卒にも口にする上長であるならば、その資格はない。

 またあれが不足だ、これが不備だともっともらしい理屈を挙げてできない理由を並べ立てるのはもっての外だ。そんなことよりいま出来る最善の方法に意を注ぐことだ。前述の段取りとは前に立ちはだかる障害物を即課題として捉え解決にあたることを意味する。

 「まあまあ」「なあなあ」の馴れ合い、よりかかり合い、傷のなめ合いはお互いに人をだめにする。と同時に組織を萎えさせる。やり続ける、やり抜く覚悟と自律そして緊張感がお互いに自分を高め、企業をより強くしていく。