思うままに No.212
2013.07.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
この歳になってつくづく思う。生まれてこのかた、たいした苦労らしい苦労もぜずによくも来られたものだと。運がよかったからではなく陰に陽に直接間接に多くの方々の支え助けを頂いたからだと痛感している。そして同時に借りたものはきちんとお返ししなければとも思っている。
苦労は間違いなく精神の足腰を鍛え、生きがいを培ってくれるものと承知しているが、自分にはまだまだ苦労が足りないと思うことしきりだ。日頃おつきあいを頂いている周りのなかで苦労人ほど人の痛みには敏感だ。またそういう人はおしなべて苦労の表情をみじんも出さない。むしろときおり見せる慈愛に満ちた笑顔に何とも言いようのない人間の深みを感じさせる。ほんものの苦労人とはそういうものだと思う。
誰の目にも明らかに大変そうな状況下にありながら自分のことはさておいて何かと気配りをされる。しかもさりげなく。恐縮の極みだ。人間の懐の深さと言うか人生のタメの大きさが違う。
人を魅了し尊敬に値する人となりは数々の経験から幾層にも堆積する苦労がつくり上げたのであろう。苦労の種が笑顔の花を自ずと咲かせるということか。そういう人たちに接するたびに改めて自分は未熟者だと思わざるを得ない。
人生をよく生きる上で最高の知恵として昔より〈苦労は買ってでもせよ〉と言われる。当たり前だが苦労は売るものではなく買うものだ。苦労というのは人によってその感じ方は様々だ。無論、苦労はその人の身にならなければほんとうのところは分かるものではないと承知している。その上で当人にとっては大変な苦労でも人によって見方によってはさほどのことではなく苦労のうちに入らないと一笑に付されることもある。
その感じ方の差異はどこからくるのか、それは育った環境、経験や志の有無生き抜く力の強弱によるものであろう。大きな夢や希望をもち頑張る人々にとっては苦は楽の種、自己実現のための肥やしと思っているに違いない。傍目が思うほど当人はさほど意に介していない。むしろ楽しい、面白い夢三昧の境地ではなかろうか。その意味で抱き続ける夢や希望には人生を豊に育む、計り知れない力を宿している。
まさに不便は発明の母のように苦は楽をつくる母だ。逆に苦を避け楽ばかりを追い求めれば必ずその先には何倍もの苦を伴うしっぺ返しが待っている。わけてもたいした苦労もしていないのに苦労を鼻にかけるのはさもしくみっともないことだ。苦労は鼻ではなく胸の奥にかけるものだ。それが心の糧として秘めた誇りとして何事にも代えることのできない人生の財になる。
自戒をこめ、努めて苦労は買っていこう。わずかでいい、先々の楽しみのために。