092: 鏡は鑑

2013.08.10

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 鏡ほど正直で恐いものはない。
 加減せず、ありのままに姿を映し出すからだ。鏡の中の自分はまさしく自分であり又他人である。自分が怒れば相手も怒る。自分が笑えば相手も笑う。口先だけの自分に相手も口先だけとなる。目先だけの自分に相手も目先だけとなる。また他人は自分の鏡になるし、同時に自分も他人の鏡になる。お互いが鏡となって映し出す。他人を害したら自分も害される。他人を助けたら自分も助かる。他人を好いたら自分も好かれる。他人を信頼したら自分も信頼される。
 「人のふり見て我がふり直せ」で日頃周りには勉強になる題材はいたる所に一杯転がっている。ただし、気を付けていればのことだが。いいところは取り、悪いところは捨てる。いい人はなおのこと、悪い人は自分にとって反面教師になる。
 「他山の石」で他人の言動は、すべて自分の修養に役立つ。それをボケッとして見逃すのか、あるいは、それを他人事とせず自分のことのようにして受け止めるかで人間、後になって差が出来る。
 良きにつけ悪しきにつけ、自分のしたことは必ず自分の身にふり返って来る。親は子の鏡というが遺伝子として身体の細胞のみならず精神のひだにまで、あらわれる所に子々孫々幾世代にわたって受け継がれて行く。死んでいようが生きていようが、そこからは誰も逃れることは出来ない。さらに血は汚いもので、いやが応でも付いてまわって離れない。
 「積善の家に必ず余慶あり」で善行を積んだ家に幸福が訪れる。善行とは何も大袈裟なことではなく身近に一杯有る。これ見よがしでなく、なかなか目立たない行いのことだ。今すぐ喜んでもらえなくてもいい、いつかは心底から喜んでもらえばいい。間違っても恩着せがましいことをするな。物欲しそうに直ぐその見返りを求めるようなことをするな。それをした後から、とたんにその意味は消え失せる。
 好むと好まざるにかかわらず積善は廻り回って自分や子孫に正直に還って来るのだ。このことが善悪に応じて必ず報いが来る「因果応報」の原理であり、幸福の道理なのだ。
 概して人は他人には厳しく自分には甘いものだ。人を咎める時の目をもって自分を点検し、寛容な目でもって人の行いを許すことも大事だ。人を見る目で自分を見、自分を見る目で人を見ようではないか。
 「鏡」は「鑑」と同意語だ。常に他を手本としながら、謙虚に自分を振り返り、自分を戒めるのだから。

平成十五年十一月二十九日