思うままに No.179

2010.11.01

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 仕事の目的は世のため人のために役立つことにある。だから仕事は人生のなかでもっとも尊いものだ。これほど精神的、肉体的にも全力を傾注できる意義と価値をもつものはない。つきつめるほどに幅広く、奥深い。どこまでも飽くことはなく、いつまでも満足も完成もない。
 課題は泉のように湧き出てくる。数えきれない失敗を重ねながら学習し、わずかながらも小さな前進に挑んでいく人生最大の創造的な作業だ。これを阻む大きなカベは諦めと受身になることだ。他に原因を求めるのは見当違いですべては自分の生き方にあることを肝に銘じておかなければことごとく過つ。
 仕事には様々な知識、技術、能力も必要だが、ほんとうのところはもっともっと広く深い全人的なものだ。つねに見識、感情、意志の調和がとれる人格が求められる。
 仕事に没頭できることほど幸福なものはない。幸福は正しく仕事の中から生まれる。だからこそ仕事は先ず自ら楽しまなければならないし、好きでなければその品質は高まらない。もしそうでなかったらこれほど惨めで不幸なことはない。誰しも一生のうちの貴重な大半の時間とエネルギーを費やすのだから。
 辛い、苦しいというのは不幸とは全く違う。不幸とは希望をもつこともなく、何かを目指すこともなく、イヤイヤながらやらされる、流される状態をいう。海に漂流するあてどもない、あなたまかせの流木のように。人生の主役であるはずの自分が不在であれば何事も始まらない。
 不在というのは生き方に頑とした軸がないことだ。その軸がブレて一貫性を欠けばいい仕事などできるものではない。軸のブレたコマのごとく力を入れて廻そうにも直ぐにグラグラと傾き倒れる。もともと無理からぬことだ。
 仕事の楽しみをつくるさえたるものはとにもかくにも人に喜んでもらうことだ。何よりもかによりも人の喜ぶ顔を見たさに思いを馳せるものだ。そのための辛苦はいつしか喜びに変わり倍加する。その道の達人と言われる人はそのプレッシャーを快楽とさえ思うから追い求め続けるのだ。辛苦は幸福づくりの強力なテコとなる。苦あれば楽ありと言うではないか。仕事のない人生はセミの抜け殻のように空虚なものだ。
 仕事とは人生そのものだ。堂々と胸を張り大いに仕事人間でいいのだ。仕事は自ら楽しむものだ。諦めず。受身にならず。