思うままに No.256
2017.03.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
何と言おうか神の仕組んだシナリオなのか、稀勢の里関が春場所にて神がかり的に優勝の賜杯を手中にした。感動感激感涙がうず巻く会場は鳴り止まない割れんばかりの大拍手、横綱の男泣きに皆ももらい泣き。
「泣かないでおこうと決めていたのに、すみません」、「やれることは全部やった。最後まであきらめないという念いでいた。何か見えない力が働いた」と。この涙はうれし涙に違いないがその心の奥底には皆に支えられていまの自分があるという深い感謝の念が自ずとそうさせたのだろう。
あれだけの怪我をおして出場に駆り立てたのは何なのか、休場しても誰もが容認するのに何故なのか。そこには綱をしめる者の使命と責任、やり抜く信念、そして観客の期待に何としても応えたいという一念が痛いほどに伝わってくる。
彼にとっては怪我が痛いのではなくて休むことが痛いのだ。弱いから怪我をするのだと怪我を恥と考える。後日、いま一番やりたいことは何ですかと問われて「けいこです」と。
これからさらに高みを目指すためには、大敵である怪我をしないようにということか。観客がもっとも望むことは全力死力を尽す力士の様だ。相撲に限らず、また勝敗の結果に限らず皆その様を観て惜しみない称賛をおくる。勝ち負けは時の運だが、何よりもその様が問われる。いい勝ち方わるい勝ち方、いい負け方わるい負け方、その内容の良し悪しに価値をおく。
相撲は正しく国技であるが、単なるスポーツでも格闘技でもない。そこには品位品格、礼儀作法を重んじる相撲道がある。その上で心技体を通して力士の魂と魂がぶつかり合うところに観る人をして心を打つ。勝者は謙虚にして勝っておごらず、敗者は腐らず、勝者は敗者を気づかい、敗者は勝者に敬意を払う。これぞ相撲の本来の魅力だ。
相撲には日本の心が宿る。日本人のもつ美と価値が土俵には凝縮される。日本人の日本人たる自覚と矜持を表わす。このことは世界に胸をはれる日本人の心の教育に結びつく。相撲道を通して大人のみならず次代を担う子供たちには格好の学びとなる。その意味で相撲協会や親方衆には広く社会的使命を念頭において強く力士たちの教育指導に注力して頂きたいと切望して止まない。推し進めるそのもとは日々のけいこにある。
さて過日の第40期中期経営計画説明会のなかで年次表彰がとり行われた。その際の受賞者の皆さんの発表には深い感銘を受けた。
「働きやすい職場環境づくり。何でも言える雰囲気づくり、工夫と知識による実践」、「売るとき以上にその後の手紙や電話などのフォローの大切さ、続けて頂いてさらに満足を」、「滞在時間は手短に、ニーズに適った訪問サイクルの徹底」、「フロンティアスピリットの実践」、「一日一日を大切に」、「問題があることは悪いことではない。問題に気づかないことが問題だ」、「責任者は成果の最大化を、仕事に誇りをもって皆のベクトルをあわせる」
誰もが思ったことでしょう、各人とも特別なことをやっているわけではなく、ごく当たり前のことを当たり前にやっていることを。そして皆さんには常に感謝の念が人一倍強いことを。