思うままに No.193

2012.01.01

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 謹賀新年。本年は天空に昇る龍のように希望をもって向おう。
 「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就するものではない」【ヘレンケラー】
 希望は限りなく前進するために偉大な力を与えてくれる。人間は希望をもつことができる唯一の動物だ。神様は人間にだけこの大特権を与えてくれた。しかも限られた人だけがもてるのではなくて等しく誰でもがもてる。
 生きていく上で希望をもたないことぐらいもったいないことはない。これをもつことによってすでに実現への出発点に立つことができる。恵まれているが希望がない。恵まれていないが希望がある。前者と後者とでは比べものにならない、生き方の価値が違う。そもそも希望は人から与えられるものではない。自らが描き創り出すものだ。とりわけ苦境苦難のなかでもつ希望ほどそのパワーが倍加する。あたかも深い地底から噴き出す燃えるマグマのように。
 日常身の周りには様々なことが起る。想定内、想定外のいずれであろうが多くを失うことがある。しかし命がある限りは希望だけは失ってはならない。たとえ他から見放されようとも自らがそれを放棄してはならない。何が起きようとも常に希望をもって自分のいまできることをやり抜くところに必ず道が拓けることを信じよう。自信も誇りもそういう過程のなかからできる。
 人は先をみるとき肝腎な自分の意志や行動を棚上げにしておいて正体の定まらない不安感と称するものを滑けいにもわざわざつくり出すところがある。実に愚かとしか言いようがない。また自分の利益誘導を図り卑劣にも巧言をろうして不安感を人に煽る善人面した悪人もいる。その見極めをしておかないと、とんでもない目にあう。
 不安感は何の解決にもならない。受動的、情緒的、抽象的なものだ。一方危機感は能動的、論理的、具体的なものだ。希望のもつ力を信じ危機感をもってことに当たる意志が大事だ。
 過日TVにて中国の少年が不幸にも事故にあい両腕を切断、しばらく夢も希望もなく悶悶たる日々を過ごすなかで、ある日ピアニストを目指して一念発起する。くる日もくる日も両足を使って猛練習、今や中国全土にて一流のピアニストとして活躍。
 余人には想像を絶する意志の力を生み出したのは、言うまでもなく希望の力に他ならない。