100: サービスは生身の人間への気くばり
2013.12.10
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
いい店にはきまっていいお客さまがついている。いいお客さまというのは、歯に衣を着せずに、忌憚のない意見や苦言を呈してくれる人のことを言う。気がつかないところ、弱いところ、足らざるところを敢えて教えてくれるのだから、これほど有り難いものはない。それら一つひとつに虚心に耳をかたむけ、問題点を正していけば、いい店になっていく。いい店と言うのは、ていねいにそのことができる出来る店のことをいう。
小生などは気に入った店には極力物わかりのいいお客さまにならないように努めている。もっといい店になってもらいたいと心から思うからだ。
店というのは、一にも二にもサービスの良し悪しで決まる。サービスの原点は気くばりだ。気くばりとは大層なことではなくて、機を見て敏に、いま自分ができるほんのちょっとした言葉なり仕草のことだ。このちょっとしたことが相手の心に響くのだ。そのためにはいかに自分をお客さまの視点や立場に置き換えられるかどうかだ。
お客様の本当に望んでいることは何なのか、いますぐどうしてもらいたいのか、またどう気づいてもらいたいのか、そのことを常に念頭におくことだ。
過日仲間たちと小旅行をしたときに、二つの対照的な接客サービスにあった。その一つは、昼食にと一階で買い物をしたおみやげ屋さんの案内で二階のレストランに入ったときのことだ。出されたメニューを見ながらあれこれと注文するのだが、肝心の食べたい料理がことごとく品切れだ、やれ時間がかかるということでらちがあかない。結局枝豆を一品と軽い飲み物を口にしただけで、長居は無用とばかりその店をあとにした。その時、店を紹介してくれた人が型どおりに申し訳ございませんでしたと謝ってくれたが、当方としては半分だまされたような不快な気分になった。ここで問題なのは謝り方だ。この時たとえ冷たいお茶の一本でもお詫びの印にと差し出されたら、多少とも心が和んだかもしれない。
もう一つは、その後、遊覧船に乗ったときのことだ。われわれは団体割引の十五人には満たない十二人だったが、降りるときに料金の割り引き交渉をしようと思っていたところ、船長の朴とつとした温かい人柄と懇切ていねいな観光案内の語り口に、われわれはぞっこん魅了され、値引き交渉どころか反対にチップまではずんでしまった。
サービスというのは、もとより理より情の世界のものだ。消費者とお客さまとは違う。統計的な数字の羅列で示される消費者ではなく、お客さまという生身の人間が相手であるということを忘れてはいけない。
ここにあらゆるサービスの本質がある。
平成十六年七月三〇日