083: 口は禍の門
2013.03.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
「群盲象を評す」ということわざがある。自分の知っている一面だけで立派な人やものごとの全体をつかんだつもりになること。
多くの盲人が一頭の象をなでて、それぞれ自分の触れたところだけで、桶のようだ、太鼓のようだ、杖のようだ、ほうきのようだと見当違いの批評をしたという故事であるが、さてさて人を見ることほどむつかしいものはない。人間は象とは比べものにならない難解複雑な動物だからだ。
カメラやビデオならば物理的、機械的にレンズを通して、そのままに事象を映し出してくれるが、人が人を見るときにはそうはいかない。その時々の心の模様によってレンズの様式が変わってしまうからである。見られる人は状況によっては、これが同一人物かと見違うほどの別人に変節する。当人でさえも自覚できないくらい多様な面をもっているものだ。時おり他人に指摘されて、はじめて気がつくことも少なくない。
他方、見る人もたえず動いているから、仮に同じものであっても、昨日と今日とでは違って見えることがある。特に見る人に先入観やかたよった情報、知識があったのではものは正確に見えるわけがない。加えて私情をはさんだり、利害がからむととんでもない間違いを引き起こし、後で赤恥をかくことになる。人間関係の失敗はほとんどこれによる。
先ず人を見るときは、一方通行にならないようにして、可能な限り、多くの人からよく耳をおしひろげて、いろいろの角度から聞き取ることだ。
また、人のうわさほど無責任極るものはない。全てと言っていい、事実と違うものだ。それに流され、鵜呑みしたらえらいことになる。現時、現場、現物にあってこそほんとうの答えがある。見る人、見られる人、様々だがひとつだけ断言できることがある。人の大小は見る人の大小によって決まるということだ。どうしてあの人が重用されるのか、評価されるのか、軽んじられるのか、不遇をかこうのか等々、当然のことながら器の大小によって差異がでてくる。
また、「口は禍の門」ということわざがある。見る目も大事だが、言葉を発する口も大事だ、一度口から出た言葉は二度と消すことはできない。うっかり出た言葉から失敗や不幸を招くことも少なくない。言葉ほど怖いものはない。相手をよく見よ、特に口の軽いものは肝に銘じておけ。
いい言葉は人を励まし、勇気、希望、感謝をもたせる。悪い言葉は人を傷つけ、落胆、失望、恨みをもたせる。言葉は人格だ、目、口、耳、正しく使ってこそ価値がある。
平成十五年二月二十八日