082: 子供の自助自立を駄目にする親

2013.03.10

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 久方ぶりに敬愛する老師を五人ばかりで囲み、有意義な一席を供にした。
 一言居士の皆さんの集まりゆえに、話題は政治、経済、社会、教育文化と多岐にわたって議論百出、酒も手伝い熱い時間となった。最後にゆきつくところは、案の定教育の問題になった。家庭教育、学校教育、社会教育、社員教育と。そしてこれらのもとはすべて家庭教育にあるということに。結論は、子供は親を見て育つである。子供は先入観がないし、大人以上にものの本質を真直ぐに見抜く力を持っている。感受性もうーんと鋭い、ヘタなゴマかしがきかないのだ。
 延々と深更に及んだ議論の結果、教育の根本のテーマは礼節を守ることと感謝の気持ちを持つことにあるということで落着した。因みに感謝とは世の中の目に見えるもの、見えないもの、あらゆるものが直接に、間接に、陰に陽に支えられているからこそ、今の自分があることを心から有り難いと思うことである。
 さてこんな小話を聞いた。
 ある会社のオーナーと同道する部下二人が通りすがりに転んだのか道端で泣き喚いている子供に出合った。その時オーナーは無視するように黙って子供の横を通りすぎたのだが部下二人はそのオーナーに向って冷酷な人だなぁと言わんばかりの視線を投げかけながら、とっさにかけ寄ってその子供の手を取りながら「おうおう可愛そうに、どこが痛い、ママはどうしたの」と聞いた。
 実のところは、泣けば、だだをこねれば直ぐ助けてくれるものと思っているわがままな我が子が自分で立ち上がるまでは手を貸すまいと、母親は少し離れた木の陰で必死に我慢比べをして見ていたのだ。図らずも邪魔ものが入り母親はやむを得ず、小走りにかけつけて二人に「すみません」と頭を下げたのだ。
 そこで二人は善いことをしたなぁとお互いに顔を見合わせたのだが。
 この話のなかに、本ものの教育とは、本当の優しさや厳しさとは、何なのかが凝縮されているように思う。日常の仕事のなかで、泣き事、恨み事、弁解ごとを言ったとき、厳しく叱咤激励するオーナーの本当の気持ちが分っていなかったからこそこの二人はかるはずみにも子供に手を貸してしまったのだ。せっかくの機会を逃がした母親の無念そうな顔が目に浮かぶ。
 近頃は親ばなれのできない子や、またそれ以上に子ばなれのできない親がだんだんとふえているという。その結果いずれも子供の自助自立をだめにし、もっとも大事な生き抜く力を阻害している。

平成十五年一月三十一日