069: 言訳人間より実行人間
2012.08.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
「他山の石」という諺がある。
他の事がらを参考にして、自分に役立てること。よその山から出た粗悪な石でも宝玉を磨くのに使える。どんなつまらないこと、また自分より劣っている人の言行でも自分の才能や人格を磨く反省の材料とすることができるという意味である。
日常の職場にて、よく心をおけば、信用・信頼・人品・人格などのもっとも大事な人間に関わる勉強の題材にはこと欠かない。人のふり見て我がふり直せでこれらを自分の向上のためにいかに参考にし活かすことができるかが肝要だ。
常に賢者はよそ事でも自分におきかえて自分事としてとらえるが、愚者は自分には関係ないと、他人事で済ませるものだ。
また世の中のこと、人のことすべての事象には因果応報の原理が働いている。よい行いをすればよい報いが、悪い行いをすれば悪い報いがある。日常、良きにつけ、悪しきにつけ身近な出来事に触れると、なるほどさもありなんと合点することがある。因果応服は時間の長短があり、世代をわたることもあるが幸・不幸・盛衰の結果の帳尻はきちっと合ってくるものらしい。いまのみならず、次の代のことを考えると生きているうちに、出来る限りの陰徳を積んでおかなければ。
過日友人たちとコーヒーをすすりながら次のことが話題となった。
テーマは「頭でっかち人間」と「おっちょこちょい人間」、どちらが伸びるかである。頭でっかち人間は一見もっともらしい物言いで、思慮深そうにみえるが、実のところは、ヘタな考え休むに似たりで、考えが浅い所で堂々めぐりするだけで結局は何も考えていないし何もしない。当人は何もしなければ何も結果がでないということは百も承知であるが動かない。いや動けないのだ。初めからやる気がないので当然でてくる悪い結果を恐れるからだ。
だから、後で、やらなかった自分を正当化するために、もっともらしい口実を考えなければならない。クソにもならんことに大事なエネルギーを使う大バカ人間で、こういう言訳人間は将来の見込みなしだ。
一方、おっちょこちょい人間はとにかく先ず動いてみるで一見軽はずみにも見えるが、それでいいのだ。いろいろの経験を重ねていくうちに、賢くなっていくし、その過程で肝心なことに気がつくようになる。
もともと人間は学習する動物だ。動いてこそ学習できる。その豊かな行動力を身につけるにはフットワークは軽いほどいい、理屈はあとで何ぼでもついてくる。こういう実行人間は将来見込みありだ。
言訳人間と実行人間、さてあなたはどちらかな。
平成十四年一月四日