060: 礼儀と我慢は宝物

2012.04.10

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 人間、自分で痛みや辛さを経験しないと、なかなか他人のそれは分からない。子供のとき甘やかされて育ってきたせいもあろうか、いつまでも幼児性の抜けきらない、年だけを重ねたオトナコドモも少なくない。そういう人の行く末はたいへんだ。こづかれ、しごかれ、叱られたりするなかで培われる耐え抜く力や骨身にしみる経験は、後のことを考えると貴重な財産になる。
 この頃は過保護、叱らない親、子ばなれのできない親、生徒と友達感覚の教師、やさしさと甘えを混同する人、見て見ぬふり、是は是、非は非と言えない人、マナーや身だしなみ等々心配なことだ。それを価値観が違うだの、時代が変っただのとたわ言をいう輩もいるが、問題の本質をすりかえてはいけない。
 何でこんなことが分からんのかと嘆いていても始まらない。いまの時代は家庭や学校に代って、企業がしつけをしなければならないのだ。時間はかかるが一にも二にも我慢強く身をもって教えこんでいくしかない。
 さて、よくものの本にほめてほめて叱るなどとあるが、実際は叱ることよりほめることの方がはるかにむずかしい。つきつめると、おおよそ人間は美点よりも欠点のほうがうんと多いようだ、数少ない美点をとりあげるわけだから、普段より、時や場所をかえ、いろいろの角度から、よく人を観ておかなければならない。ほめどころのツボをはずしたら、見え見えのお世辞やへつらいになり易い。ああ、自分のことをきちっと見ていてくれるなあと、的を得てこそほめる効果がある。
 他方、叱るほうは相手の為にと思えば思うほどにその材料にはこと欠かない。その都度、誤りを正してやれば、それはやがて美点に変っていくだけに、心底より期待をもって言えるものだ。
 また叱るということは叱られる人以上に、叱る人自信も我が身を振り返えられる。このところ、礼儀、あいさつ、身だしなみ、マナー、モラルが大いに気になる。ポケットの中に手を入れたままのあいさつ、頭を下げたかどうか分らないおじぎ、敬語の使い方、気分が悪くなるマイナス言葉、口の利き方、話の聴き方、お客さま宅での車の停め方、車や商品の取り扱い方、クレームへの対応、清掃、整理整頓、酒の飲み方等々。
 「企業は人となり」、社の品格は一人ひとりの品性によってつくられる。そのもとは礼儀にある。限りはないが常に思いを込めて臨んでいけば少しずつ高まっていく。
 ついこの間、横綱を引退した曙が長い相撲人生の中で一番身についた宝物は何かというインタビュアーの問いにこう答えている。「礼儀と我慢です」

平成十三年二月二十八日