057: 人を見て法を説く

2012.02.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 「いく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし、世の中にある人と栖(すみか)もまたかくのごとし」 『方丈記』(鴨 長明)の冒頭の一節である。
 いつの時代も、世の中のありとあらゆることは、刻々と移り変わり、無常なことと記している。しかしまた一方では、そのなかにあって決して変わってはならない大事なこともある。その意味で近ごろは有り難いと思う感謝の気持ちが希薄になってきたように思う。
 過日こんなことがあった。
 当方は直接本人から頼まれたわけでもないし、もともと見ず知らずの人であるが、その友人から、あることでたいへん困り果てているということを聞いた。そういうことならと、心当たりもあり、お役に立てればと、好意であるものを送って差し上げた。しかしその後、半年、一年と過ぎてもナシのつぶて、気になってはいたが当方から連絡すれば、恩着せがましく思われるのも不本意だし、礼を言われたくてしたわけでもない。まあ便りのないのは上手くいっている証だと考えるようにした。
 もう一つの話は言語道断の極みだ。
 静岡県のとある川で、夜中に酒盛りをして、騒いでいた男女十八人の高校生のグループが増水で中州にとり残され、自力の脱出もかなわず、レスキュー隊の懸命な救援活動のおかげで助け出された映像をTVのニュースで見た。その時、九死に一生を得た、若者たちの隊員に向けての言動には何をか言わんやだ。「うるせぇー、さわるなぁー」、「頼みもしねぇのに余計なことをしやがって・・・・」には腹わたが煮えくり返った。私だったら、問答無用その場でぶん殴って、彼らの望みどおり、もう一度暗やみの激流へつき返してやるところだ。
 恩を仇で返すような非常識な奴には常識は通用しない。非常識には非常識で対応した方がいい。甘い顔を見せるからつけ上がるのだ。自分の命を大切にできないから他人の命を平気で奪うことになるのだ。
 慈母も必要だが、肝玉がちぢみあがるエン魔さんのような厳父が望まれて仕方がない。
 十人十色、是は是、非は非でもって、「人を見て、法を説け」ということか。

平成十二年十一月三十日