056: 叱り上手、叱られ上手

2012.02.10

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 人には恐い存在があった方がいい。
 また時には足腰の立たなくなるぐらいの手痛い目にあってはじめて、ほんとうに目が醒めることがある。恐いものなしは厄介なもので、恐ろしいことに傍若無人、高慢尊大をつくる。しかし世の中、それを許してくれるほど甘くはない。やはり、常々何かへの畏敬の念をもってこそ、謙虚に、無力な自分をかえりみることができるし、多くの人に支えられ、生かされていることへのおかげさまという感謝の念も生まれる。
 昔より、地震、雷、火事、親父と恐いもの順に並べて言うが、残念ながら近ごろは親父が死語になりかけている。ものごとの善悪について、無責任にも「是は是、非は非」とはっきりものを言う人、教える人が少なくなってしまった。
 イソップ物語に旅人の着ているマントをどちらが先に脱がせるかと競い合って太陽さんが風さんに勝つ話があるが、いつも太陽さんが勝つとは限らない。時と場合によっては太陽さんのような優しさも必要だが、また肝を冷やす風さんのような厳しさも必要なのだ。
 さて日常よくある「叱る」、「叱られる」について考えてみよう。
 どんな場合でも叱られる人は叱ってもらえるうちは有り難いことだと思わなければならない。この人間は脈があると評価されているから叱ってもらえるのだ。反対に叱ってもらえなくなったら、この人間は叱る価値がないとダメの烙印を押されたと思った方がいい。
 もっとも叱られるにも礼儀作法がある。先ず素直に受けとめることだ。仮りに、自分の方にも少しは理があるからと言って、反論や言訳は間違ってもしないことだ。悔しかったら、その時言葉を返すかわりに、その後の行動で返すことだ。また叱る方も半端ではなく、誠心誠意であたることだ。だからこそ、その場限りの言い放して終らずに、その人の動向に細心の注意を払い、心を砕くことができるのだ。
 このほど十月一日より、賞罰委員会の下に、モラル委員会が新設された。多種多様な感性と価値感をもつお客さまの信頼を得るためには、礼儀、あいさつ、身だしなみがしっかりとできる「いい人づくり」が目的だ。
 この主役は委員会のメンバーではない。一人ひとりの皆さんだ。誰一人として無責任な傍観者に成り下がらないよう、お願いしておく。

平成十二年十月三十日