055: 人は外見で判断される
2012.01.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
近ごろ外国人の猿マネか、オリンピックのメダルの色がごとく、金銀銅にとド派手に髪を染めたり、耳輪、鼻輪、口輪、ヘソ輪などのファッションが一部の若者の間に流行しているようだ。
職業がら目立つことを道具として使うタレントやスポーツマン、自由業の人はそれなりに似合う人もいるが、営業とおぼしき者までが、それに近い格好となると、こいつは一体何を考えているのかと、首をかしげざるを得ない。聞くところによると、おおよその外国人の目には、それが奇異奇妙に映るらしく、どうも軽蔑をこめて笑っているようだ。
営業マンは老若男女、多種多様なお客さまに対して、少しでも不快感、不信感を抱かせることのないように、最低限度、身だしなみだけは整えておかなければならない。ファッションは感性だ、主義主張だ、勝手自由だと言う人がいるかも知れないが、自分のよって立つ分をはき違えてはいけない。接するお客さまにはいろいろの感性や考えの人がいるからだ。
私の独断ではあるが、そういうやからの多くはおしなべて、中味が空っぽのように思えてならない。個性の時代と言われるが、ただ何となく易きに流されたり、うわべの猿マネではなくて、その人ならではの主体性、独自性が望まれる。そもそも人は、出来合いのレディーメイドではない。それぞれが手づくりのオーダーメイドのはずだ。
それとついでにもうひとつ。どいつもこいつもアホ面、バカ面の顔黒ギャル、醜態にして無知、低能、いつでもどこでもいたって行儀は悪いし、不潔そうで臭くてたまらない。汚物そのものだ。だから運悪く、電車に居合せたら、一目散、できる限り遠くへ離れるようにしている。
人は外見では判断できないことは承知しているが、少なくとも精神作用、思考からくる表現方法のひとつと考えると、どうも服装と言えどもその人の品性やマナー、モラルにまで連動するように思える。
それとは対照的に、シドニーオリンピックで悲願の金メダルを勝ち取った柔道女子の田村選手や、苦しい時には、監督やスタッフをはじめお世話になった皆さんの顔を思い浮かべながら、ありがとう、ありがとうの感謝の思いを抱いて走り抜いた女子マラソンの高橋選手の、若者らしい清々しさとさわやかさ、そしてさらに内から滲み出てくる素晴らしい人間性には心を大きく打たれた。
いずれの優勝も絶賛に値するが、何よりも特筆すべきは、ここへ来るまでの、はるか想像を絶する努力と精進、目標へのあくなき執念に深甚なる敬意を表したい。
平成十二年九月二十日