054: 戦争は命だけでなく心も奪う
2012.01.10
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
十九才のときに、ぶらぶら独り旅をして以来、三十六年ぶりに、タイ・カンボジアを訪ねることができた。当時はベトナム戦争が始まる前であるが、すでにその兆しとして、きな臭いにおいがしていたときでもある。あれから、果たして人やまちはどんなふうに変わったか、格別の懐かしさもあって興味津々機上の人となる。
タイは三年前の通貨危機やバブルでその後遺症が残っているものの経済の復調も著しい。都心は近代的なビルが林立し、高速道路もできて、活気がみなぎっている。一方少しはずれると昔と変わらず生活は貧しそうだが、川辺で水遊びに興じる子供たちを見ていると、日本とは比べものにならないくらい、屈託がなく元気いっぱいだ。
カンボジアでは空路でシエンリアンプのアンコールワット・トムへ飛ぶ。肌を焦がすように照りつける灼熱のなか、滝のごとく吹き出る玉の汗はまたたく間に服をずぶ濡れにしたが、ジャングルに浮かぶ遺跡の荘厳さと雄大さにはあらためて圧倒された。
残念ながら、泥沼の長い内戦でこの世界遺産も至るところに放弾のあとが生々しく、立ち並ぶほとんどの仏像は片っ端から頭部がもぎとられ、その姿は痛痛しくも異様な光景だ。今、その復興に日本をはじめ各国からの援助で修復をすすめている。また、ここでも健気な物売りの子供たちの、並はずれたそのたくましさには驚かされる。いまなお、空の表玄関プノンペン空港はつぎはぎだらけで、雨もりもする貧弱な施設である。戦争は人命や人心を奪い、文明や文化を萎えさせる。空しさと貧しさ、憎しみと恨みをつくるだけだ。
年のころ二十七、八才であろうか、人なつこそうなガイドのタラさんがタドタドしい日本語で熱っぽく語ってくれた。
「この国は不幸にも、計りしれない長い年月、取り返しのつかない無駄をしてしまった。また一から出直しだ。ぼくもこの戦争でかけがえのない肉親や友の多くを失った。残念無念で涙も枯れてしまった。望んでも学校にも行けなかった。いまのぼくには何もないが、幸いにもこの身体と、そして夢がある。これから失くした人の分も合せて頑張るよ」
やせて、骨ばった顔つきのせいか、妙に目だけがギョロリと光った。
この青年に心より期待し、またいつの日にか訪ねて見たい。
平成十二年八月二十九日