047: 大善は非情に似たり
2011.09.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
現下、我が社は次なる目標達成の為に新たなる戦地に向けて、あちこちで進軍を始めた。戦いは勝たなければならない。常々口にすることだが、指揮官は部下には十人十色それぞれ相手のレベルをみながら、先ず「何の為にやるのか」をしっかりと理解させ、そして「タイムリーにフォローする」ことが肝要だ。
仕事の実力の評価についても「何をどれだけできるか」ではなく、「何をどれだけやったのか」であって、あくまでも結果が最重要だ。もともと人間の能力実力は時を経て必ず伸びていくものだ。現在の力はまだまだであるが、高い志をもち、不断の努力と工夫を重ねるうちに格段の進歩成長が図られるのだ。
反対にいくら能力があっても、これ磨かざれば、たちまち錆びついて使いものにならなくなる。よくよく考えて日々の手入れを怠ってはならない。また人間、立場を得ると見違えるように仕事ぶりが変わってくる。何故か。それは考え方が変わるからだ。だから行動も変わってくるのだ。
ここで老婆心ながら、一言、新任所長に言っておきたい。
指揮官というのは偏(ひとえ)に部下の将来を託されている責任者のことを言う。時にはチームと個の命運さえも決めてしまうことがある。いい指揮官はいい業績をつくり、いい人をつくり、そしてまたいい仕事をつくっていく。指揮官はあくまでもリーダーであって仲良しクラブの一員ではない。是は是、非は非を説きながら、部下の長所をとりあげ、これ育成に努め、常にチームをいい方向に持っていく牽引車のようなものだ。その過程で恨まれようが結果において必ず喜んでもらうのだという揺ぎの無い信念と使命をもたなければ、その任は到底おぼつくものではない。
仮にもうわべのとりつくろいやご機嫌とりのような軽挙妄動は厳に慎むべきだ。「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」で小手先、口先に走らず、全身全霊、時には鬼心のごとくあたってこそ相手の心に響くのである。本当のやさしさとはこれを言う。
物欲しそうに感謝の言葉はもらわなくてもいい。後になればきっと分かってもらうときがくる。さらに極言すれば感謝の言葉よりも何よりも進歩成長したその姿、そのものが感謝の印だ。それをみて、よかったよかったと独り秘かにほくそ笑む事ができるのが、指導者にしか味わえない何にも代えがたい、真の歓びではないか。
平成十二年二月一日