045: 成果は一時、姿勢は常時
2011.08.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
人間というものは厄介なものだ。ちょっとばかりいいとすぐ図にのる。全て自分の力で出来たと錯覚もはなはだしい。自分が今日あるのは、いかに計り知れない多くの人達から支え助けられてきたことか。こういう人は、おおよそ感謝の念が薄いから、何かでつまづ(つまづう)いたりした時は大変だ。おいそれと誰も手を差し伸べてはくれない。「実るほどに頭の垂れる稲穂かな」というように、常に謙虚さを持ち続ける事が、さらに豊かな実を結ぶことが出来る。
また一方では、ちょっとした事で、いとも簡単に落ち込む人も多い。当人にとっては深刻のようであるが、ほとんどが手前勝手さ、視野の狭さ、経験の未熟さからくることだ。こういう人はもともと実力地力がないのに、あると勘違いしているところがなんとも哀れで滑稽だ。何かにつけ宙ぶらり、中途半端だから始末が悪い。いっその事どん底に落ちたほうが、足が地について本当の何かに気づくものだ。
過日、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんからいい話を聴いた。全く同感である。「能力は未来進行形で捉える」 その意味は新たな目標を立てるときは敢えて自分の能力以上のものを設定しなければならない。 今とても出来そうもないと思われる高い目標を、未来の一点で達成するということを決め込んでしまうのだ。そしてその一点にターゲットを合わせ、現在の自分の能力をその目標に対応できるようになるまで、高める方法を考えるのだ。
現在の能力を持って、できる、できないを言うことは誰でもすることだ。しかしそれでは新しいことや、より高い目標を達成することは出来ない。今出来ないものを何としても成し遂げようとする一心からしか高い目標を達成する事は出来ないのだ。高い目標は結果的に能力を向上させる。また自信は出来たからつくのではなく、出来ると信じることからついてくるのだ。
一九九九年も残すところあと三〇日。いよいよ新しい二〇〇〇年が始まる。これからをもっともっと希望に満ちた、実り多きものに創り上げて行かねばならない。その答えは偏(ひとえ)に一人ひとりのあり方にかかっている。毎日が闘い、その都度成果を出して行くことも大事であるが、またそれ以上に、次から次へと更なる目標に挑む姿勢にこそ大きな意義と価値がある。成果は一時、姿勢は常時であるから。
平成十一年十二月一日