043: 行動力を育む「やってみる精神」

2011.07.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 いまの若い人たちには、自分なりの考え方をもっていて、先輩から何かを頼まれたとき、嫌なことは嫌だとはっきり言える人が多くなってきたように思う。このことはいちがいに悪いことではないが、大変気になるのは、その選択の尺度が経験不足からくる考えの未熟さや、単なる自分の好き嫌いで判断してしまうことである。
 せっかく先輩が親切心からよかれと思って言ってくれたことを、よく考えもせず(もっとも当人はそのレベルなりに考えているのではあるが)それを頭から断って、自分の可能性の芽を摘んでしまうことがある。親の心子知らずで自分がその立場になって初めて分るのであるが、結局あとになって気がついて、しまったとホゾをかむことがいかに多いことか。これは実にもったいない人生だ。もしかすると将来の重要な分岐点になるかもしれないのに。
 人生の節目には、自分が気がつかないだけで、必ずといって言いほど、人からチャンスを与えられているが、そのとき謙虚に聴く耳をもっていないとチャンスが来ても見逃してしまうものだ。チャンスは一目見てすぐ分かるように、これがチャンスだというような顔をしてやってこない。もともとチャンスはその人の姿勢や考え方に共鳴共感して吸い寄せられるようにしてくっついてくるものだ。だから自分が信頼している人から声をかけられたら、ちょっと困ったと思っても、むげに断るのではなく、とにかくいまの自分にできることはないかと、前向きに考えて、ひとまず応じてみることだ。
 人生は深奥にして不思議な縁で結ばれている。とりわけ同じ職場で苦楽を共にするなんていうことは大変な因縁だ。人と人の間には目先の損得勘定やご都合主義では計れない、はるかにそれを越えた気脈のような何かがある。
 ときに「人生意気に感ず」というのは、縁がとりもつ素晴らしい宿命のように思う。また、人には「できること」と「できないこと」があるが、大抵は自分で自分の枠をつくってしまって「できない」と思っていることのほうが圧倒的に多い。いままで「できない」と思って「やらなかったこと」のなかに、どれほど「できること」があったか。
 なんであろうが、かんであろうが、先ず「やってみる」の精神こそ豊かな行動力を育み、実りの多い人生を築いていく王道ではなかろうか。

平成十一年九月一日