041: スランプと言えるのは一流のみ
2011.06.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
過日の社長のラウンドの際に、宴席で今年度の新入社員からこんな質問を受けた。
「社長、ぼく今落ち込んでいます。スランプの脱出にはどうしたらいいですか、是非とも教えて下さい」いかにも真剣な顔つきなので私も本気で本音でこう答えておいた。「落ち込むというのは、本来それなりの実績や実力があって、そこから何かの原因で落ちるということであるが、そもそも君はもとからそんな実力があったのかね」
あるいは「落ち込んだと自分がほんとうにそう思うなら、この際またとない、いい機会だ、徹底的に落ち込みなさい。人間どん底まで落ちてはじめて地に足がついて気がつくものがある。そこではい上がるとき、貴重な経験をもとに地力、実力というものができる。中途半端、宙ぶらりだから、いたずらにもがきあがくだけで何の進歩も成長もないのだ」と。
大体スランプという言葉を吐けるのは、プロ野球界で言うなら、落合選手やイチロー選手等ごく限られた一流選手に許されるのであって、もともと二割そこそこの打率しか残せない選手には、間違ってもこの言葉を使う資格がないのだ。
落ち込むということと、未熟ということを混同してはならない。一流の選手の前でこの言葉を使ったら、それこそ一笑に付されるのが落ちである。身の程知らずの厚かましい奴と思われるであろう。そんなマイナス思考でウジウジと考える暇があるなら、今日からでも専心努力して商品知識の一つでも勉強しなさいと言っておいた。
ところで西武のルーキー松坂大輔投手について、知る人ぞ知るこんな秘話がある。プロ野球ファンを魅了し、脚光を浴びる彼は幼い頃、交通事故で右ひざを悪くし、たいへんなハンディーを背負いながら、くる日もくる日も走りに走り、心身を鍛え上げた。
「スーパースター」、「天才」と呼ばれる選手にはいつも血のにじむような努力と精進が隠されているように、松坂投手もまた壮絶な自分との闘いからはい上がってきた選手だ。ときおりテレビ画面に映る、彼の屈託のない、何とも言いようのないいい笑顔に、厳しい経験に裏打ちされた、ほんものの自信を垣間見ることができる。やがては球角を背負うひとかどの人物になるであろう。
玉磨かざれば光ることなし。稼ぐに追いつく貧乏なし。
平成十一年七月一日