040: ありがたや、見えぬ支えに助けられ
2011.06.10
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
五月の連休の二日間にわたって、恒例の半田亀崎潮干祭が勇壮華麗にくりひろげられた。見物客は七万人とも言われる。潮干祭は亀崎の神前神社の祭礼。その昔神武天皇東征の折、この地に訪れたという伝説にちなんで、五輌の山車を潮干の浜に曳き下ろしたところから潮干祭の名がつけられた。
十五世紀から始まり、十八世紀の前半に現在のような豪華な山車がつくられた。幕末の左甚五郎と言われる諏訪の立川和四郎富昌などの名工による彫刻や刺しゅうの施された大幕、七宝の柱など工芸技術の粋を集めて造られている。またからくり人形では江戸時代の竹田からくりの生きた化石とも絶賛されている人形が奉納される。山の高山祭、海の潮干祭と並び称されている古式伝統の祭りである。
この度、おかげさまで、私にとっては一世一代の栄誉な石橋組車元の大役を無事に務めさせていただいた。車元の使命は家に神様を一年間お預かりし、大事にお守りすることである。この祭を通して山車組の人と組織、その規律と運営には多くを学ぶことができた。
組織は四〇〇人有余で構成され、習わしにより、スタッフとラインがきちっと分かれ、何十種類の役割分担がある。組の決定にはなんであろうが、かんであろうが責任をもって役割を全うする。もしできなかったら末代までの笑い者になる。
とりわけ、実質に組織を取りしきり、運営する若者頭、年行事の若衆の責任感の強さたるや並みのものではない。ただただ頭の下がる思いだ。礼節、心意気、使命感、情熱、ご苦労は筆舌に尽くしがたい。だからこそ今日まで何百年も連綿として守り続けてこられたのである。
祭の千秋楽には、使命を立派に果された充実感と安堵感に、目頭を熱くする筆頭(若者頭の長)の万感の思いが、痛いほどひしひしと伝わってくる。たいへんな、長い長い一年間のご労苦に心よりお礼を申し上げたい。
もう一つの驚きは笛や大鼓の小学生の子供たちの礼儀作法である。履物はきちっと揃える。あいさつもしっかりしている。この祭は青少年の立派なしつけ教育にもなっている。しっかりとしたしつけと責務の完遂は豪華な山車以上だ。厳しい伝統の規律と強烈な自己責任、それでいて、のびのびと自由活発な動きには、人と組織の絶妙な調和がある。
ありがたや 見えぬ支えに助けられ おかげさまにて大役果し。
平成十一年六月一日