032: 天は自ら助くるものを助く
2011.02.10
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
内外の様々な要因が重なり、現下の景気低迷の深刻さには、複雑で根深い。その治療のための処方せんをめぐっては百家争鳴で、いっこうに解決の糸口もつかめず、泥沼にはまった感がある。いろいろと論議もあるが、われわれ企業はやるべきことを自前で一つひとつ手を打ってやっていくしかない。とにもかくにも、今日一日を食っていかなければならないのだ。しかしこういう状況の中にあっても、業種業界を問わず、立派に業績を伸ばしている企業も少なくない。
結論から言うとこういった企業の姿勢は、すべてのことが他人だのみや成り行きまかせではなく、自動自立でもって、血のにじむような、たいへんな努力と工夫を重ねている。結果について決して他人のせいにしない、すべて自分のせいにする。他人だのみではなく、すべて自分だのみなのだ。
自分だのみとは、いかなる時も、どんな条件下であろうとも、常に自分の可能性と創造性を信じ、最善を尽すことを自分に誓い、断行してゆくことだ。雨が降ろうが嵐が吹こうが、他人や天をうらんだり、そしるひまなどない。いまのいま、自分にできることは何かに、もっぱら意をおく。
世の中、捨てる神もあれば拾う神もある。拾う神の御意にかなうためには、少なくともいまやれることを誠心誠意やることだ。できない理由を言う前に、できる方法を考えることだ。そしてもうこれ以上考えられない、やれないところまですべてやることだ。あとは神さまに委ねるしかない。「天は自ら助くるものを助く」とはこのことだ。
話は変るが、和歌山のカレー事件に端を発し、全国でその類いの事件が続発しているが、もう怒り心頭に発するを通りこした。これは人間の所業ではない。畜生にも劣る所業だ。人間やっていいことと絶対やってはならないことがある。その分別を誰かが教えていかなければならない。(もっともこのことは分別以前の問題ではあるが)いつか、事件は一つひとつ解決されていくと思うが、根本の解決にはならない。
結局は小さな子供のうちから、一人ひとりのお父さんお母さんにそれを託すしかない。
平成十年九月三十日