017: 刑は重いほど何もさせてもらえない

2010.06.25

著書「心のしずく」より

※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。

 この時季、木々の若葉が目にまばゆい。みずみずしい若葉が春の日差しをいっぱいに浴びて希望の色に光りかがやいている。今年も大勢の新入社員を迎えた。どの人もこの人もみな大事な人たちばかりだ。これからしっかりと大地に根を下ろし、天空に向って限りなく幹や枝をひろげ、強く大きく立派な木に育っていってほしい。
 冬があるから春がくる。夜があるから朝がくる。谷があるから山がある。このことを念頭において頑張ってほしい。なんだろうが、かんだろうが、いかなる困難な境遇にあろうとも、とにかくその歩みは前へ前へ、その志は高く高く積極的に進んでいってほしい。適者生存の法則にもあるように、自分の方からすすんで環境に適応していってこそ生きのこれるし、一人前の人間に近づくことができる。
 いずれにせよ、大きな自分づくりで大事なことは、先ず経営理念と社会的道義をきちっと踏まえ、そのあとは、自分の持ち味、強味、長所を十分に活かしながら、柔軟な発想で、自由自在にのびのびとやることだ。決して形にはまったり、縮こまったりしてはならない。
 過日は、またとない縁を頂いて、石川県は小松の聖徳寺に上杉老師を訪ねることができた。老師は、八六歳とはとても思えないほどの若々しさだ。飲み食いよし、声もよし、車の運転もする。さらに、終始、成年のような眼差しや希望に満ちた、その表情と語りにはたいへん驚かされた。ここはお寺だから、ひょっとしたら狸にでも化かされたのかと思ったほどだ。
 いろいろと説法をいただいたが、特に心にのこる話が三つある。
 その一.人間は何かを為すために生まれてきた。生きているということは何かをすることだ。だから人間、何が一番つらいかと言えば、一切合切、何もしない、何もさせてもらえないことだ。受刑者はその刑が重いほどそうだ。
 その二.お金を欲しいと思って仕事をしたことがない。仕事が面白いから、楽しいからやるのだ、やらせてもらうのだ。もうけたお金は、楽しんだあとのカスだ。だから何が悲しくてカスをもうけよう、貯めようと思うか。バナナ食べるのに、肝心な果肉を捨ててカスの皮を食べるが如しだ。
 その三.遺産とは金品のことではない。遺産とは親のおかげで働き、働かせてもらうことに対して、心底よりありがたいと感謝する、おかげさまの財産を言うのだ。

平成九年四月二十三日